2014/7/10 木曜日

71歳のヨーロッパ旅行(13)

Filed under: 熟年旅行 — mizusawa @ 21:23:53

朝から雨模様だ。朝食後一眠りして朝10時にアムステルダム中心にある美術館に出かけた。オースト公園そばの駅から市電9番に乗り公園通りまで行った。市電の乗り降りはSUICAと同じようなカードを使う。乗車時に乗車券をチェックする丸印をタッチすると「ぷ」と確認音が鳴る。下車時にも同様にタッチすると「ぷぷ」と二度鳴る。乗車時は運転手ないしは車掌?の座席近くのドアから入り、下車時には別のドアから降りる。市電を降りるとプラットフォームが人一人の幅しかない狭い場所で、市電と反対側は自転車道となっているので、注意が必要だ。アムステルダム国立美術館は混んでいた。入場のための列が2か所にあり、どちらも30メートルほど並んでいた。片方は切符ありの列、他方は切符なしの列だった。館内に入ると5年がかりという修復作業が終了したモダンなイメージの建物だった。切符を買って音声ガイドを借りて右手の階段を上がる人の列についていくと2階の展示場だった。広いホールがあり、その次も大きなホールの両側に絵画が並んでいた。有名な絵画の説明文には3ケタの数字が書いてあり、音声ガイドにその数字を入力すると分かりやすい説明が、画像と音声で表示される。14時ころ地上階(日本の一階)のレストランで食事をすることにした。ここでもしばらく列をなして待った。メニューはサラダ類とドリンクだった。2階から1階と駆け足で回った。オランダの歴史のところどころに旧オランダ領だったアジア諸国にまじって日本文化が顔を出していた。種子島の鉄砲や長崎の出島の絵、それに浮世絵だ。
アムステルダム国立美術館
museum.jpg
帰りは徒歩で市電のレールを目印に宿まで戻った。途中で近くのスーパーに寄り半リットルの牛乳パックを買おうと店に入ったが、すべて1リットル以上のパックだった。明日スキポール空港からフランクフルト経由で帰国する。帰りの飛行機で体調が乱れるのではないかと若干心配だ。今回の旅行は何とか無事に終えることができた。(おわり)

71歳のヨーロッパ旅行(12)

Filed under: 熟年旅行 — mizusawa @ 21:15:34

Leuvenからアムステルダムに車で戻った。途中高速道路の休憩所に入った。トイレは0.5ユーロのコインを入れ、装置がプリントする領収書を回収してから利用する。トイレで支払ったお金は同じ建物で販売しているスナックやドリンクの金券として使える。つまり何か購入すれはトイレ代はタダになるという仕掛けだった。アイスクリームは必ずお店にあるはずと思っていたが当てが外れた。他に適当な食品を探したが見つからず0.5ユーロの金券は使えなかった。アムステルダム市内に入るとカーナビがTurn Left、Turn Right、はてはTurn Backと騒々しく指示をする。道路は市電線路、自動車道、自転車道、歩道と細かく分かれており、一方通行となっている場合が多く、しかもRound Aboutと呼ぶ交差点の交通ルールが運転を難しくする。Round Aboutは信号機を使わない交差点で、交差点に入る時は左から車が来ないことを確認して右に曲がり交差点の円形道路に進入する。英国ではしばしばお目にかかる交差点だ。一般道路を渡るときは横断歩道は日本に似たに白線が引いてある。横断歩道の手前で立ち止まって車の様子を見ると、車は停車して横断歩道を渡ることができる。この場合は人が優先のようだ。自転車道にも横断歩道の印がついているが、こちらは自転車が速度を緩める気配はない。したがって飛ばしてくる自転車に常に注意しなければならない。市内の道路は幅の半分を市電の線路が占有している。自動車は場所によっては線路の上を走行することが許されているようだが、線路と歩道との間に設けられた別の車道を走らなければならない場所もあるようだ。外国人が初めてアムステルダムに来て自動車を運転するのは無謀だと感じた。夕方にはライン運河(Rijnkanaal)沿いの道を大学キャンパスを右手に見て走った。運河を大きな船が建築資材と思われる砂などを積載してゆっくり航行していた。
アムステルダムのライン運河沿いの道路
channel.jpg
ジョギングルートの記録
map.JPG

2014/7/7 月曜日

71歳のヨーロッパ旅行(11)

Filed under: 熟年旅行 — mizusawa @ 23:45:48

ベルギーのLeuven(ルーバン)の友人の家に一泊で旅行することになった。アムステルダムで車を借りた。トヨタのハイブリッド小型車だ。片道約250kmの距離を休憩一回で走った。天気は快晴で車中は暑さを感じた。Leuvenは大学都市のイメージだった。町の中心広場には第一次世界大戦1914年から100年目の企画として広場が戦争で破壊された時の大きな写真が飾ってあった。復興には米国が援助したということで米国国旗が掲げられていた。宿泊をさせてくれた友人は日本でビジネスをしたことがあり、大の日本びいきである。ご夫妻で出迎えてくれた。駅から距離がある場所だったが、ベルギーでは一番高い山に家が建っていて標高300m?と話してくれた。眺望のよい坂の途中で車を止めてくれて周囲を観察したが見渡す限り平野であった。友人の家は日本人の感覚からすると大邸宅で、1000坪は超えているのではないかと思った。子供部屋を寝室代わりに使わせてもらったが、日本の3DKマンションより広い3部屋を子供一人が占有していた。友人の話ではベルギーでは公立大学も私立大学も授業料は年間60万円程度だ。家庭が貧しい子供には宿舎をキャンパス内に提供する。ベルギーは確か1956年ころまでフランス領土であった。そのためフランス語を話せないこの地域の貧しい子供たちは大学教育を受けることができなかった。独立してからフラマン語で大学の教育がなされるようになり、貧しい家庭の子供にも教育を受けるチャンスが与えられたという。彼もその恩恵を受けた一人のようだ。キャンパスは広大で新旧とりまぜた建物が並んでいる。近くには企業の研究団地が控えていて、友達が働いているSIEMENSの研究所もそこにあった。若者とくに家庭が貧しい若者に安い授業料で高等教育を受けるチャンスを与えることはこの上なく社会にとって必要なことだ。彼は50歳代の管理職で部下40人を指導する立場にある。日本語以外にも英語、フラマン語、フランス語、スペイン語などを話すし、日本語で村上春樹の小説を読んだこともあるという。彼のグループの仕事は年率10%以上の売り上げ増加を実績として達成しており、投資額は売り上げの35%を目途にする典型的は先端技術開発グループであった。夕食を町の中心近くのレストランで楽しんだ。車を停車したのは広場の地下で、地上の広場にはファーブルを記念した記念碑が建っていた。
広場のファーブル記念碑
palace.jpg

2014/7/6 日曜日

71歳のヨーロッパ旅行(10)

Filed under: 熟年旅行 — mizusawa @ 2:27:38

夕方近所のホームセンターを探して運河沿いを歩いて行った。昼間は一時雨が降ったが夕方になったら晴れてきた。1km程度歩いて探していたホームセンターでアルミ棒、カナ鋸、プラスドライバー、作業用手袋、ヤスリを購入した。アルミ棒をお店の中で指定の長さに切ってもらえるか聞いたらダメだった。工具類は一通り並んでいたが、メーカの選択肢が少なかった。全体として日本のホームセンターの方が何倍も選択肢が豊富だと思った。帰りも運河沿いを歩いた。風が少し強かったが涼しくて気持ちが良い。運河の反対側には青空レストランにお客さんが多数座っていた。我々が歩いた道沿いの運河は水面が数十センチ程度道路と低いだけで、反対側の道路や下り坂になっている。ひとたび水が運河から流れ出せばあたり一帯水浸しになる高さだ。目の前に白鳥が現れた。ほんの数メートルの近さだ。よく見ると目の前に白鳥の巣があり灰色の子供がいる。お父さん白鳥があたりを警戒しているようだ。
白鳥の巣
white.jpg
更に運河沿いを歩くと今度は岸から数メートル離れた運河の流れの中に枯草で組み立てた黒い小鳥の巣を見つけた。ひなが5羽ほど押し合いしている。周囲には両親の黒鳥が水に潜っては餌を探して巣に持っていく。親が近づくとヒナ3羽が大きな口を開けて親鳥から餌をもらおうと背伸びするので巣から滑り落ちてしまう。ヒナが泳げるのかと心配したら楽々泳いでいる。ヒナが巣に戻れるのかと心配したら自分の足で巣に戻っていく。目の前に小鳥の巣を見かけるのは楽しい。
運河の中の黒い鳥の巣
black.jpg

2014/7/5 土曜日

71歳のヨーロッパ旅行(9)

Filed under: 熟年旅行 — mizusawa @ 4:33:13

アムステルダムに到着して一日休養日となった。朝食を食べてからまた寝る日本での習慣に従い、目が覚めたのは11時頃であった。とりあえず家の周りを散歩してみた。ブロックの反対側にはスーパーがあり、便利に買い物ができる場所だ。スーパーのレジには赤いスカーフを頭に巻いたアラブ系の女性レジ係が働いていた。買い物客もアラブ系が半分以上目に入った。ブロックの周囲には小さなお店がいろいろあり、パン屋、用品屋、床屋、レストランなども店を開いていた。昼の散歩でオーステル公園を歩いた。公園としては地味で花をほとんど見かけなかった。ほぼ中央に池があり、その周囲を芝生の緑地が取り囲んでおり、鳩とカモメの群れが目立った。
オーステル公園
ooster.jpg
昼の散歩では太陽の光を浴びると暑さを感じ、木陰に入ると寒さを感じ、時々クシャミが出たが、その内慣れた。昼寝をしてから、ジョギングに出かけた。運河とアムステル河を目印にして約1kmの四辺を走った。道は自転車道、自動車道、歩道と別れていてジョギングしている人が少ないのでどの道を走るのがルールなのか分からず他人の様子を見ながら走った。アムステル河沿いには家として住んでいる船が多数接岸していて、河に張り出すレストランもあった。道路沿いは屋外レストランに客が多数集まっていた。小さな運河沿いに走ると小型のボートが多数岸につなげられていた。最後に再度オーステル公園の中を一周半回った。一角にみすぼらしい年配の男女5名がたむろしていて、お酒とおしっこの臭いが漂っていた。警官がバイクで公園内を回っていたので、若干騒動のある場所かも知れない。

2014/7/4 金曜日

71歳のヨーロッパ旅行(8)

Filed under: 熟年旅行 — mizusawa @ 1:27:46

朝食は昨日と同じ近くのパン屋で買った。結局ホテルの朝食は食べずにチェックアウトした。昨日、一昨日と近くの小さなお店で桃、プラム、サクランボなどを買って、時々ホテルで食べた。良く熟していておいしい果物もあった。朝9時過ぎにシテ島、セーヌ河を散歩し、その後ホテルをチェックアウトしてタクシーで北駅に来た。タクシーは至る所で渋滞に遭遇したが30分程度で到着し約20ユーロだった。タクシーの料金はメータに表示されチップは必要なさそうだ。Gare Nordで行先表示板を眺めると出発番線が表示されていない。赤い帽子をかぶった駅案内係りと思われる人に尋ねると出発20分前に表示されるそうだ。
Paris Nord駅の風景
paris_nord.png
出発は8番線で、表示が出ると沢山の人が一斉に8番線プラットフォームに向かった。列車に乗ると誰もが大きな旅行鞄を引きづっているので、荷物置き場の確保が問題だ。何とか確保して指定座席に座った。Paris Nordを12時25分に出発しAmsterdam Centraaに15時42分に到着する列車に乗った。切符は日本でインターネットで購入し、Tcketlessと書いてあるQRコードの入った印刷を持参した。Paris Nordの8番プラットフォームでは各車両の入り口に係官が立っていて印刷を見せることで乗車できた。その後列車の中でも複数回検札がありその都度見せた。フランス、ベルギー、オランダと国境を通過するからだろうと思った。日頃ジョギングで使っているGPS時計で列車の走行速度を測ってみた。時速300kmである。国際列車は予想より速く走っていた。
ジョギング時計で記録したパリ・アムステルダムの列車ルート
paris_ams.JPG
前の座席からはフランス語と英語が聞こえる。小学生と思われる少年二人が時にフランス語で次に英語でゲームについて話しているようだった。後ろの座席からはロシア語が聞こえる。その他にも別の言語が車両内を賑やかにしていた。アムステルダム中央駅に到着し市電に乗り換え宿泊地の娘のアパートに着いた。列車内では前の列の何人かが他の車両に行ってアイスクリームを買ってきていた。飲まず食わずで3時間半我慢したので喉が渇いた。途中車窓からは風力発電タワーを何回も目にした。太陽電池パネルが民家の屋根に乗っているのも目にした。何とか体調を維持して旅行の半分まで到達した。

71歳のヨーロッパ旅行(7)

Filed under: 熟年旅行 — mizusawa @ 0:57:34

朝ホテル近くのパン屋が7時に開くのでそこでパンを買ってきた。クロワッサン、パンオショコラは大きくて味が良く満足だった。今日は午前中列車に乗ってモネの家を訪問することになった。SNCFの切符を街中のオフィスで購入することもできるとホテルで教わり昨日オフィスで順番待ちの券を発券機から手に入れた。40分待ちとあったので買い物をしてから戻ると既に順番が終わっていた。今日はメトロでSt.Lazare駅まで行き、切符売り場で発券機から番号を手に入れて順番待ちをした。SNCF係員の机はオープンな雰囲気で客との間を仕切るガラスなどはなかった。他の切符売り場では昔からの列を作って順番待ちをする人を見かけた。St.Lazare駅のトイレは有料だった。気付かずに中に入ってしまい呼び止められ。0.5ユーロを支払った。列車は45分ほどでVERNON駅に到着し、そこからバスに乗り換えてモネの家近くでバスを降りた。列車から降りた乗客は殆ど一緒にバスに乗り込み、バスを降りると長い列を作ってモネの家の入場券を求めていた。どこでも長い列になる。入場券を買うときに国籍を告げることになっていて、前に並んだ家族はフィンランドからだった。こんなに沢山の人が世界中から訪れるとはモネも予想しなかっただろう。モネの家の庭は沢山の色が入り乱れた草花で溢れかえっていて綺麗だった。
クロード・モネの家と庭
monet.jpg
モネの代表作にある蓮池の周りには人だかりが出来ていて写真を撮っていた。絵と全く同じ視点でハス池を眺めることができるので不思議な気がした。モネの家にはモネが絵を描いたと思われる部屋がほとんど昔の写真そのままに残されていた。浮世絵など日本の版画が沢山壁に飾っており日本の絵画がモネに与えた影響が大きかったのだろうと想像したが、モネがどのように理解してどのように彼の絵に反映したのか理解が難しかった。お土産にTシャツを買った。午後4時ころからはパリのデパートでの買い物だった。昔は日本人の買い物客であふれていたが現在は中国人と思われる買い物客でデパートの中は活気があった。デパートでトイレを探した。大きなデパートに一か所トイレの印が案内板に表示されていた。ここのトイレは有料で1.5ユーロだった。料金を聞いてトイレの前で戻る人を何人も見かけた。徒歩で約5kmを歩きホテルに戻った。パリの町は交差点が直角ではないので方角の把握が難しいが、太陽を右手に見ながら歩くことでセーヌ川に行き着き、その後は橋の名前で居場所を容易に知ることができる。夕食は昨日と同じレストランでコートデブフを注文した。脂身が多くてナイフで切るのも難しかったので、食べるのに閉口した。7ユーロのアイスクリームを食べて口直しをした。ホテルに戻ってまたすぐに寝てしまったが、午前3時ころ風呂に入った。体調は維持できている。

71歳のヨーロッパ旅行(6)

Filed under: 熟年旅行 — mizusawa @ 0:47:51

7月1日8時半発のEurostarに乗車するため6時に起床し、7時にホテルを出た。St.Pancras駅は早朝でも沢山の人が列をなして改札を待っていた。我々がネットで購入した切符は印刷して大きな印刷QRコードを改札マシンに読ませてみたが、×印しか表示しない。近くの係員に聞くと係員デスクのある改札に行けという。そこでは印刷を見てキーボードに入力し、入場することができた。中に入ると空港並みにセキュリティチェックが必要だった。ノートPCは鞄から出さなくてもOKだったが、携帯は出して籠に入れた。セキュリティチェックが終わるとパスポートチェックがあり、フランスの係官がパスポートに押印した。次が待合室で出発まで椅子に座って待機した。
St.Pancras駅の待合室
pancras.jpg
待合室の周りには軽食や販売店があった。Eurostarは技術的トラブルが原因とアナウンスし13分遅れで出発した。出発して景色を楽しむつもりだったが、トンネルや周囲の土手のせいで遠景を望むことはあまりできなかった。出発して1時間でトンネルから抜けフランス国旗が見えた。軽食のサービスに来た男性に尋ねると英仏海峡トンネルは20分ほどで通過したという。到着時間は12時と書いてあったが、Paris Nordに着いたとき腕時計は11時を示していた。時差1時間なので2時間半でロンドンからパリに到着した。北駅のタクシー乗り場はお客で長い列ができていた。30分以上は待った。セーヌ川左岸のホテルには12時ころ到着し、Luxembourg公園から市内の散歩に出かけた。快晴で暑い。バーゲンが先週から始まったそうで、サンジェルマン、モンパルナスを散歩しで、小さなお土産を買った。途中でCafeに入りしばらく休憩した。夕食はホテル近くのレストランを選んだ。Footballをテレビで観戦する人が集まっていたバーの一角を通り過ぎて、奥の出入り口傍の椅子に案内された。地元の人が来るレストランと思われた。カモ料理を頼み赤ワイングラスとガス入りミネラルウオーターを楽しんだ。小柄な女性店員がせわしく働いていた。明日も来るよと告げた。ホテルに戻るとそのまま寝てしまった。夜中に起きだして、二日分の洗濯とメールチェックをした。夜中に2回起きるのはいつものことなので、体調は安定している。

2014/7/2 水曜日

71歳のヨーロッパ旅行(5)

Filed under: 熟年旅行 — mizusawa @ 14:19:54

今日一日はロンドン市内見物で歩き回ることとした。Parisに向かう列車Eurostarに乗りたかったので、事前準備で出発駅St.Pancrasに様子を見に行った。ホテルからは徒歩で20分ほどだ。KingsCross駅とほぼ並んでいる駅で、切符を購入する列に沢山の人が並んでいた。ホテルに戻り、それからBritish Museumに行った。入場無料でここにも小学生、中学生と思われる学校の団体グループが沢山来ていた。ロゼッタストーンは数十年前に来た時は直接目にすることができたと思うが、ガラス箱の中に納められ、人だかりができていた。1時間程度の見学を予定していたので5階の日本展示を見に行った。3区画に分かれていて、真ん中には江戸時代の展示があり英国人のガイドが説明していた。ネツケが多数展示されており、神道や仏教と日本人の関わりも分かりやすく説明していた。再度ホテルに戻ってスーパーで購入した昼食を食べ、今度はHyde Parkを目指して歩いた。Oxford通りは人があふれていた。途中にユニクロがあった。その昔もOxford通りを歩いたが通りに面した店構えは大分変ったと思った。もっとも並んでいる建物は昔のままで、一定間隔でMetroの駅がある。歩いている人の国籍はかなり多様でアラブ系女性の姿もしばしば目にした。Hyde Parkは昔出張で来たときは毎朝Joggingをした場所だが、残念なことに広場の大半が工事用のフェンスで囲まれていて見渡すことができなかった。Hyde Parkを南に下り、St.James’s Parkを散歩した。公園の案内図でトイレを探し池の真ん中の橋を渡ってトイレにたどり着いた。有料かもしれないと予想したが無料だった。公園をゆっくり歩いてバッキンガム宮殿に向かった。公園内はリスが目の前で両手に持ったナッツを食べていたり、カモの類の水鳥が沢山池の端に群れている。白鳥が子供の手から芝生の葉をもらって食べているのを見てビックリした。
公園の白鳥に草をあげる少年
swan.jpg

若い男性二人が間に白鳥を入れてスマートホンで写真を撮っていた。Buckingham Palaceでは写真を数枚撮影し、Big Benを目指して歩いた。Big Benの足元には観光船着き場があり、ここでも沢山人が出入りしてた。River Thamasを右手に見ながら北上した。河の向こう岸に大きな観覧車がある場所で長椅子に座りしばらく休憩した。北に向かって少しあるくと左手にCovent Gardenの看板があり、人通りが多いので向かった。中は小さな通り名がいくつも縦横に走っている商店街だった。アイスクリームを買って、広場のテーブル席に座り周囲の様子を観察した。夕方5時半ころ外に出ると大粒の雨が降り出していた。しばらく通りの庇のしたて雨宿りをすることになってしまった。30分ほど我慢してやっと小降りになり、ホテルに向かって歩き出した。ホテルの近くのイギリスレストランで夕食をとった。Steak&Aile Pieを注文した。結果は慣れない味と臭いで美味しいとは思わなかった。一日で7キロ以上歩いたのでくたびれたが、夜は快調に眠ることができて、1回しかトイレで起きなかった。

71歳のヨーロッパ旅行(4)

Filed under: 熟年旅行 — mizusawa @ 13:46:15

今日はNorfolkからLondonに出かける日だ。朝から雨が降ったり日が照ったり不安定な天気だ。エバンスさんの別荘で4泊したので、掃除がけを手伝った。11時ころ近くのCreake Abbeyに連れて行ってくれた。かなり昔の建物で建物の大半が消えて、ほんの少し石壁が残っていた。
Creake Abbeyの標識
creake-abbey.jpg
12時半ころ別荘を車で出発し1時間弱ほど走りKings Lynn駅に向かった。そこでエバンスご夫妻と別れて列車でLondonに向かった。出発した直後はローカル駅に停車したが、途中からノンストップでガタガタ走り、ロンドンには2時間弱で到着した。列車はそれこそ左右の振動がひどく、昔の技術でレールを調整し、無理に100kmオーバの速度で走っている印象を受けた。列車は連結部が両開き扉のモダンなつくりだったが、扉を開閉するには右側のボタンを操作しなければならない。ところがボタンを押しても扉が開かないトラブルが発生していた。辛抱強く何回もボタンを押しては待っている乗客を目にした。Kings Cross駅に到着したらそのままTaxi乗り場に並んだ。ロンドンのTaxiは乗り降りが容易で使いやすい。Morton Hotelと告げたが聞き返された。目的のMortonホテルまでは直ぐだった。ホテルの入り口はアパートと同じような小さなドアーでこれはみすぼらしいホテルを選んでしまったかなと思った。入り口を入ってすぐ左手にエレベータがあり、地下に行くように案内がある。地下一階に受付があった。ここも小さなラウンジとレセプションのこじんまりした部屋だった。我々の部屋は4回の47号室で、部屋は予想より広く、バスルームも備えたリフォームしたてのようだ。大満足である。すでに夕方だったのでホテルの周りを散歩することにした。ホテルを出て左手の向かい側にラッセル広場がある。左手の道に沿って歩くとすぐPres a Mangerという名の軽食堂が目に入った。棚に並んだサンドイッチなどを選びカウンターで料金を支払い店内で食べる。コンビニ喫茶店のような食堂だ。その後町を散歩して何処にもPres a Mangerがあることを知った。Starbucksよりも多かった。更に歩くと小さなスーパーがあった。学生が多く食品を買っていた。ホテルの近くを一周して、レストランやスーパーが数多くあることを確認した。夕食はラッセル広場近くのフランスレストランとした。ボーイはトルコ系と思われる年配の男女、フランス人の若い男性、イギリス人の若い女性だった。隣の席には日本人3名のビジネスマングループが我々の後レストランに入ってきた。ホテルに宿泊することで多少気楽になり、下着の洗濯にも精を出した。体調は徐々にコンディションが改善している。

次のページ »

HTML convert time: 1.877 sec. Powered by WordPress ME