2008/7/26 土曜日

上司の仕事:一番つらいこと

Filed under: 若者に話したい仕事の経験, 英会話の勉強 — mizusawa @ 20:15:48

長年おつきあいをお願いしている友達ご夫妻と談笑した。話題が人生の幸せに及んだ時、92歳の父との会話を思い出した。
私の観察では、父は現在人生で最も幸せな生活をしている。無論仕事はせず、年金を受け取り、生活に不自由しない。足腰が年齢相応に不自由になっているので、外出はほとんどしない。ほぼ一日中安楽椅子に座ってきれいに整備された庭を見たり、テレビを見たりしている。要介護2に最近指定され、毎日介護の人が食事の世話に来てくれる。
私も介護保険の請求書が今月から自宅に届くようになったので、父の生活は私の将来を考えさせる。
月に数回、一人暮らしをしている父を訪ねる。その時父の口に出る言葉は、「仕事もできず、社会のお荷物になっている、そのことが一番つらい」
長寿を周囲に祝福され、不自由ない生活を送ることが「一番つらい」という。
父のこの言葉が、中学校時代に聞いた諺を思い出させた。
「艱難辛苦(かんなんしんく)汝(なんじ)を玉にす。」
父は1歳の私を抱えて、東京から避難して千葉に住んだ。日本が敗戦を味わい大混乱の時代を生き抜いた。恐らく「苦労することが人生でありそれが楽しみ」だと肌で知っている。何も苦労することがなくなったら、それが「一番つらいこと」だと感じている。
何歳になっても「苦労することが人生の楽しみ」だとすると、年金をもらいこれから「自由気ままに楽に暮らそう」と考えることは、終盤の人生設計を誤るかも知れない。
「艱難辛苦汝を玉にす」
の諺について、人生若いうちに苦労してそれなりの仕事をしたら(玉になったら)、その後は楽な人生を送ること、とその昔考えていたが間違いのようである。
ちなみに類似の英語の諺をALCで探したら、次の説明があった。
“Adversity makes a man wise, not rich.”
「不幸は人を賢くするが、金持ちにはしない。」
Adversityの意味として、この例では「不幸」よりは「逆境」ないし「困難」を選んだほうが好ましいと考える。なぜなら、「困難そのものが人生の幸せだ」と父は言っているように聞こえるからだ。

2008/6/25 水曜日

上司の仕事:立ち去る

Filed under: 若者に話したい仕事の経験, 英会話の勉強 — mizusawa @ 21:15:05

上司は部下に祝福されて、会社を立ち去る。会社にしがみつく一部の上司を除いて、この儀式は平然と進む。
確かその昔マッカーサーが「老兵は立ち去るのみ」と言ったと思い、Wikipediaを参照したら次のように紹介記事が有った。
「1951年4月19日、ワシントンD.C.の上下院の合同会議に出席したマッカーサーは、退任に際しての演説を行った。彼は最後に、ウェストポイント陸軍士官学校の兵舎で当時流行していた歌のフレーズを引用して、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die; they just fade away.)」と言い、有名になった。」
会社を退職し年金世代になると、なぜかこの言葉を思い出す。忙しかったけれど現役時代は良かったと過去を振り返る言葉で、多くの同世代がそのように感じていよう。
我が世代に求められていることは、潔く会社を退職することである。退職を年齢で規定しているこの社会のルールが実に賢いと感じる。もし、自分が所有する会社であれば、自ら退職を決断することは至難の業である。
次に来るのは、これからの加齢を受け入れ賢明に対応していくことだ。覚悟しなければならない。
父は92歳と長寿である。時折一人住まいを訪問すると父が話すことは「長生きしすぎた。何とか上手に天国の妻の所に行きたい」である。同時に「足腰が不自由になって車椅子で動けるように玄関の階段を修理する」など、まだ生きる意欲も強い。
父の様子を見ていて、長寿が幸せだとは思わなくなった。父は頭がしっかりしているだけに、長寿は当人にとってかなりの苦労の連続のようである。だからと言って、自分が痴ほう症になって、周囲に迷惑をかけたいとは思わない。人生の幕引きは、正にこれまでで一番難しい課題だ。ただ、神は我々の体に時計を組み込んでおり、着実に体はその指示に従って日々変化している。
若い世代の一日の消費カロリーが2,400kcal、介護保険世代になった私の一日の消費カロリーが1,500kcal、92歳の父は1,000kcalもないであろう。
英語の諺を一つ思い出した。
”Man’s life is like a candle in the wind.”
人の体はエネルギーを消費して赤外の光を出すロウソクとみなせよう。Windがいつ我が炎を吹き消すのか、その時を待つ世代となった。

2008/4/28 月曜日

生活が厳しくなる時

Filed under: 英会話の勉強 — mizusawa @ 21:21:36

諸物価高騰の大波が日常生活でもはっきり見えるようになった。
テレビのニュースでも紹介していたが、本当にどこのお店に行ってもバターを買うことができない。我が家でケーキを作るのにお隣さんからバターをもらうことになってしまった。
農林大臣が次々に入れ替わったのはつい先日のことである。大臣が何回も入れ替わってまともな仕事ができない。それだけではない。前総裁まで仕事を放棄した。そのような自民党が国政を担っているから、バターもお店から消えてしまう。食料が店から消えてしまうような事態は、30数年前のエネルギー危機以来だ。
自民党はガソリンの暫定税率を復活させると明言している。5月に入ると国民は一挙に物価高の洗礼を受ける。日本国民はおとなしい。それを見越して自民党は行動している。国民はこれからもただひたすら耐えることを要求されている。
これからの自民党政権が招く最悪な事態を予想して、ことわざを一つ。
”While there’s life, there’s hope.”

2008/4/20 日曜日

上司の仕事:予算獲得と物乞い

Filed under: 若者に話したい仕事の経験, 英会話の勉強 — mizusawa @ 13:49:46

ガソリンの暫定税率の復活を求めて、先週も市町村長数千人の集まりがあったと報道された。類似の報道に橋下大阪府知事の予算案削減提案に対して、知事をいじめる発言をする多数の市町村長がテレビ画面に映っていた。このようなニュースがもっと沢山報道されるべきだと私は考える。
国民の生活を圧迫するガソリン税の値上げを声高に発言する市町村長の顔をもっと知ってもらう必要がある。橋下知事をいじめる地方公共団体の長の顔をもっと国民に紹介すべきである。税金を納める立場の国民を顧みず、「予算を取ってくる」のが自分の仕事だと考えている長がなんと多いことか。
地方財政に悪い影響があると発言しているようだが、地方財政をなんとかやりくりして健全財政にしようとする橋下知事の提案を頭ごなしにしかりつける。自分たちがまったく歳出削減の努力をせずに、ただどなりつけることで予算獲得の仕事をしていると考える「アホ」としか言えない市町村長が如何に多いことか。
彼らは一様に年配の市町村長で、地元に根を張り、新しい若手への世代交代を阻害している。それこそが地方財政を改善できない諸悪の根源である。そう言う私も同じ世代なので、出世した同世代が諸悪の根源をなしている現状に複雑な心境だ。
そもそも税金は国会が国民にもとめる義務であるが、税金を高くすることが当然のように考える市町村長の発想が間違っている。政府が国民の支持を得てこそ、国民は税金を支払おうと考える。国民の協力なしには、税金は支払われないことをあらためて強調したい。
英国の古い諺である。
“Beggars can’t be choosers.”
「ガソリンの暫定税率を復活せよ」と主張している市町村長は、自分たちが「beggars」であることを肝に銘じるべきだ。

2008/4/7 月曜日

桜の花が散ったあと

Filed under: 英会話の勉強 — mizusawa @ 9:18:31

今年の桜の花は2週間以上楽しませてくれた。ガソリンが安くなった恩恵で、週末に鋸山までドライブに出かけた。館山道や海ホタルを楽しんだ。新緑が芽吹き始めて、5月の陽気に新しい季節の到来を感じた。
大学の卒業式に桜が咲いていた。また入学式にも桜が咲いていた。どちらも桜を楽しむことができるのは珍しい。時折寒気が訪れたのと、あまり強い雨や風が吹かなかったのが幸いしたのであろう。
年をとると季節の移り変わりが早い。大学4年間の学生を見ていると、学生の変化もこの時期の桜のように思える。春の雨をおもいぞんぶんに吸収して花を咲かせ新緑の目を出す木々のように伸びる学生の姿はすがすがしい。一方で1割の学生は大学生活を見失って去っていく。
学科の学生に送るはなむけの言葉として毎年次のように話す。「君たちのご両親は大学を卒業させることができてホッとしているに違いない。最初の給料で御両親に今まで育ててくれた感謝の気持ちを表しなさい。」 卒業生はどのように感じているのだろうか。いつもの授業よりは強く印象づけられていよう。
桜の花が2週間という短い命を終えて、その先に待っているのは実をつけることだ。学生たちも大学学生生活で青春時代を謳歌し成長した。彼らを待っているのは、社会で「実」をつけることである。自分の仕事にプライドを持ち、社会のために役に立っている実感を感じながら働くのだ。
”The life of a cherry blossom is very short.”
大学での学生生活を楽しんだ彼らは実感をもってこの諺のように感じよう。
人生はいつでも後ろを振り返ると哀愁を感じる。振り返るのは60歳代に入った世代だけでよい。若者には前を向いて進んで欲しい。

2008/3/17 月曜日

英語の勉強と英語の諺(19)

Filed under: 英会話の勉強 — mizusawa @ 20:13:39

50年前に中学校の英語の先生がたびたび繰り返した諺である。
”Eat to live and not live to eat.”
先生は、我々は「生きるために食べているので、食べるために生きているのではない」と、しっかり自分の人生を考えなさいとお話していた。
若い年代では、人生経験が少ないので、将来のことを考えると不安になり、自分の存在について価値があるかどうか考え込んでしまうことがある。
“To be, or not to be”
「生きるべきか死ぬべきか」はシェークスピア劇のなかで、ハムレットが発する言葉である。
自分の将来が見えなくなったとき、人は”To be, or not to be”と考えたくなる。このフレーズはシェークスピアの劇には適しているが、現代日本の若者にはあまり似合わない。
日本は豊かになった。あらゆる場所にコンビニがあり24時間サービスをしている。若者は気軽に食料を買い、電車の中でも人目をはばからずに食べている。肥満が問題視されている米国人並みの体型をした日本人も数多く見かけるようにもなった。
現代の若者に知ってもらいたい諺である。
”Eat to live and not live to eat.”

2008/3/8 土曜日

英語の勉強と英語の諺(18)

Filed under: 英会話の勉強 — mizusawa @ 22:29:11

諸外国に比較して日本の学力が相対的に低下したと指摘されている。その原因は「ゆとり教育」にある、ということで、文部科学省は授業時間を長くするようである。昭和の時代に学生時代を過ごした受験勉強の反動で、親たちは子供たちに「ゆとり教育」を与えたが、最近見直しが必要と発言する人が増えたようだ。
大学の教員をしていると、希望者は必ずどこかの大学に入れる「大学全入時代」はすでに実現しており、大学側は学生確保のために入学試験の種類を増やして、入試がなしともみなせる受験の仕組みを次々と作っている。私の所属する理工学部ではスポーツ入試を認めていないが、野球部の監督から「理工学部でもスポーツ入試を認めて欲しいんだ」と雑談で言われたことがある。他の大学では、運動能力に優れた学生を積極的に受け入れることで、体育会系の活動が活発になり、ニュースに流れることで大学の知名度が向上する。その大きな流れは、大学間の学生獲得競争で非常に重要な戦略と位置付けられているように感じる。
理工学部の教授たちは学生の学力が低下したと教授会で嘆いている。いろいろな受験方式が混在したことで、学生の能力格差が広がり、すべての学生に適切な教育を施すことは難しくなった。高等学校で学ぶべき教科の内容を、大学で復習するようなサポート手段も提供している。
私の周囲の教授連は学力の低下を嘆いているが、私の学生時代、すなわち50年前のような競争的な受験戦争が好ましいかといえば、判断に迷う。確かに学力は低下しているが、その時代に大リーグで活躍する日本選手は居なかった。教育は、そもそも均一な人間を育てるのが目的ではなく、個性を伸ばすのが目的である。大学教育に携わるものとして、均一な学生が来てくれたら授業は楽であるが、これからはそのような時代ではなかろう。学力が高い学生もいれば、学力が低い学生も居て、何とか工夫して授業を行っていく時代になっている。バラエティに富んだ学生を受け入れ、一人一人の個性を認め、多様な尺度で学生の能力を評価して社会に送り出す時代である。学力の高い人材も輩出するし、スポーツ能力の高い人材も育てる。
これからの教育の場に求められることを、次の諺が表している。
”Don’t put all your eggs in one basket.”

2008/2/11 月曜日

英語の勉強と英語の諺(17)

Filed under: 英会話の勉強 — mizusawa @ 12:08:53

2月に入り大学入学試験の試験監督の順番が回ってきた。雪がちらつく寒い日の翌日であったが、交通機関も特段のトラブルも無く、私の受け持ち35人の入学試験は無事終了した。
45年前に私自身が入学試験を2度受けた。浪人したので2回経験した。入学試験を受けたとき、受験生として必死であった。浪人中は当時の予備校で伝えられていたジンクスを信じて1年間そのとおりにした。ジンクスは、予備校の開門前に列をなして扉が開くのを待ち、教室では前から5番目までの席を確保することであった。それで希望の大学に合格できるというジンクスであった。
お茶の水駅周辺の坂を歩いているとき、坂本九の「上を向いて歩こう」をハミングしていたことを覚えている。予備校から帰宅する電車の中で英単語帳を広げて勉強していたら、見知らぬ人が声をかけてきて、「熱心に勉強しているね」と言ったことも覚えている。予備校では英語の教師が、黒板一杯を使って、独特の言いまわしで英語文法のルールを説明していた。数学の先生は、姿はさえない人だったが、説明は分かりやすかった。予備校のベランダからは目の前に産婦人科の病院があったと思う。ベランダは休憩時間に学生があふれていた。
一浪も終わりの頃、入試が目の前に迫っていた。予備校の友達数人との会話を思い出す。連中は皆私より優秀に見えた。入試期間に入れば皆合格した別々の学校に通うことになろう。そんな予想で笑いながら「さようなら」を言った。
その時の友達の一人は、進学した大学の同じ学科で同級生となり、会社も同じところに勤めた。その友人は、最終的には有名大学の教授になり、最近退官した。
昨日の入試監督で、教室の一番前に座り、受験生の様子を見ていた。目の前に座っていた学生は、整理されたノートを広げ勉強していた。数学の回答用紙には整然と答えを書いていた。良く勉強しているなという印象であった。受験勉強時代に学んだ諺を思い出した。
“Life is short and time is swift.”
「人生は短く、時は走り去る。」
学生時代に、この諺が教えてくれたことは、「若い時代の時間を大切にして勉強に励め」ということであった。若いときに時間を無駄に過ごすなという意味であった。同時にその努力は報われる、と期待していた。
“Life is short and time is swift.”は人生の実感である。
大学受験で勉強に励んでいる学生諸君に「頑張れ」と伝えたい。そして勉強の努力は「必ず報われる」ことを若者に信じて欲しい。

2008/1/30 水曜日

年老いた父親の世話

Filed under: 英会話の勉強 — mizusawa @ 16:57:35

私自身も還暦を過ぎているが、父は90歳を超えて顕在である。ただし、足腰が不自由になってしまっている。
父は独立心が強く、長年住み慣れた自宅で一人で生活してきた。毎日介護の人が2時間ほど手伝いに来るが、自分の体が自由にならないということで、助けを求めてきた。父の要求は私に「一緒に住んでくれ」というものだ。
私は仕事があるので、父の自宅で一緒に住むことはできない。2時間以上の通勤が大きな負担になってしまう。できることは、父が私が住んでいるところに移住して、一緒に生活することである。このような状況で、世間体を気にすると次のような批判があろう。
「実の親が助けを求めてきているのだから、仕事を辞してでも親の希望に沿って一緒に生活すべきである。」
父はこの文章のように、子供は当然のこととして実の父親の要求を受け入れるべきである、と考えている気配である。
私の考えは正反対だ。
「例え実の父親でも、老後の介護を希望するときに、自分の家で一緒に生活することを子供に要求する権利はない。子供が一緒に生活する場所を提案するのであれば、甘んじて受入れて生活場所を変える決断が求められる。」
私のこの考え方は、諺で表現すると、次の有名な英文である。
Beggars can’t be choosers.

2008/1/7 月曜日

英語の勉強と英語の諺(16)

Filed under: 若者に話したい仕事の経験, 英会話の勉強 — mizusawa @ 22:29:40

今週から本格的に仕事開始である。そこで今年の経済がどうなるか、ニュース番組で予測が紹介されていた。経済界の大物社長は、前半弱含み、後半成長を「期待」すると話していた。
町の一般の人は、景気が悪くなると予想する人が大方である。ガソリン価格が信じられないほど高くなり、食材を探すとスーパーでは軒並み物価が上昇している。
大企業のトップはガソリン代も払わなければ、スーパーに買い物に行くことも無かろう。日常生活を敏感に感じない大企業の社長に今年の経済について聞くのは間違っていると感じた。
2008年度はエネルギー危機やバブルがはじけたとき以上の大きな経済環境変化が起きる予感がする。
世界経済のマネーフローが変化しているとNHKテレビで説明していた。従来米国中心で動いていたマネーフローが米国依存から離脱していると言う。オイルマネーや中国の経済発展がこの潮流変化の原動力となっているようだ。
米国は第2次世界大戦以降、60年間も世界経済の中心であった。ローマ帝国がそうであったように、戦線を拡大した国はいずれその負担に耐えられなくなって滅びる。この事態が米国に発生する懸念があると、米国人が寄稿した記事を数年前日本の新聞で読んだ。米国にも良識派が居るとその時思った。
大きな潮流の変化は、米国一辺倒の日本政治では危ないということである。
誰でも知っている諺がある。
“A drowning man will clutch at a straw.”
「おぼれる者は、わらをもつかむ。」
ねじれ国会で、日本が世界で認められる、独立国家としてプライドのある判断をするかどうか注目したい。米国が必死に掴む「a straw」に日本をする判断だけは避けたい。

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