75歳の誕生日

6月10日は「時の記念日」そして私の誕生日だ。新聞を見ても「時の記念日」についての催し物などの記事は見当たらなかった。年齢を重ねると時間の流れに人生が大きく左右されていることが良く分かる。家内の古くからのフランス人友人夫妻が数年ぶりに訪日し、夕食会に招いてくれた。葛西臨海公園内のホテルで久しぶりに話した。ご主人は78歳で大企業で働いたあと退職し、ニースとパリに自宅を持ち、孫は10人程で、今は庭の手入れと週に1回のフランス語授業をしているという。生徒は5名ほどで移民としてフランスに入国し、仕事を得るためにフランス語の勉強中であることを証明してもらわなければならないのだ。テストで能力評価をするわけでもなく、授業を受けていれば良いらしい。「今は何か仕事をしているか?」と質問され、「小さな会社をやっています」と返事したら、「その歳で仕事をしているのは立派」と言われた。「しかし会社は赤字続き」と返事をしたが、この年代は何か仕事をしている、あるいは出来ているかどうかが常に気になる。同時にご主人との会話にも年代を感じた。私の顔を見て昔と同じだと印象を話してくれたが、「自分は耳が遠くなった」と最初に日本語で紹介した。会話は英語、フランス語と時たまの日本語でやりとりするので、言葉が通じないことに耳が遠いが加わると結構複雑なことになる。それでも長年の友人に久しぶりに会えたので楽しく会話した。時代は子供世代から孫世代に移りつつある。45年前にフランスから大阪で長女の出産を控えていた新婚の妻に電報を打ったときの話を紹介した。郵便局に出向き窓口で電文をアルファベットを並べて作成した。料金はワード数で計算されるので、なるべく日本語を連続させて経費節減した。現代は子供が外国人と結婚して外国で生活しているのが珍しくなくなった。スカイプで簡単にしかも無料で顔を見ながらお話しができる。人と人とのつながりが大きく進歩した、という時の流れと技術の展開を経験し、第二次世界大戦後に平和な世界が続いたことに感謝したい。

公園の散歩

妻が外科手術を受けてから5週間、退院し自宅でリハビリ生活をはじめてから2週間半が経過した。入院前は脊髄の神経が腫瘍で圧迫されて歩行困難だったが、日々少しずつ回復している様子が分かる。入院前には足の筋肉を鍛える目的で近くの公園を散歩していた。退院後もリハビリ目的で同じ公園を1時間ほど毎日散歩している。入院前の公園散歩は病院での手術後のリハビリ回復が順調であったことから効果があったと感じている。お陰でリハビリ病院への転院をせずに自宅でのリハビリとなった。自宅療養での介護世話係は私である。幸いトイレ、シャワー、階段の上り下りは家内が一人でできたので大変助かった。胸骨付近の脊髄を外科治療したのでコルセットを常時着用しており、この状態は手術後3月経過する6月に予定しているMRI診断まで続く。自宅リハビリ生活で妻は毎日近くの公園散歩を楽しんでいる。転倒の心配があるので原則付き添っている。天候は暑さ寒さの変動が激しいが幸い天候に恵まれている。雨が予報された日でも雨雲の動きをネットで調べ雲が空を覆っているが雨が降らない時間帯に散歩している。入院治療中には桜をはじめ公園で様々な花が綺麗に順に咲いていた。今は緑が濃くなり芝生の刈り込みも行われた。公園の後ろ側にビオトープがある。入院まえにはそこに白鷺が来ていた。その近くには妻が歩行練習で歩き回る小さな丘がある。最近の散歩ではカモのツガイが我が物顔で丘周辺を歩いたりお休み鎮座している。数メートルまで近づきスマホカメラを向けると警戒してゆっくりと離れていこうとするが慌てる様子はない。平和な風景である。

あと何年生きるの?

孫が新一年生として小学校に通い始めた。70歳代となった家内が歩行が困難になり数年間のリハビリも効果が思わしくなく、MRIで診断していただいた結果、腫瘍を除去する手術を受けることになった。待ち遠しかった入院手術を受け、手術後はベッドで横になったまま、心電図などの装置、酸素濃度測定装置、その他のケーブルがものものしく装着されていた。覚悟して手術を受けたが、二度と同じ手術を受けたくないと話していた。ほぼ1週間経過して週末に長男家族が孫を連れて見舞いに来てくれた。小学校に通い始めた孫は将来医者になりたいと話しているという。興味深そうに心電図などのディスプレイに表示されるグラフや数字を見ている。「これは何?」質問があったので、患者の様子が正常かどうかを調べる機器であることを説明した。6歳の孫は私に向かって質問した。「ジージーはあと何年生きるの?」この質問は私が日頃自身に問い合わせているが、孫から質問を受けて戸惑った。「高齢者が一人で生活できる健康年齢が72歳と言われていてジージーはもうすぐ75歳。この歳まで生きていると死ぬのは平均的には83歳程度。最後の7ないし8年は介護してもらわないと生活できないかも知れない。」と回答してみたが恐らく孫には通じていない。長男は孫に「そのような質問をしてはいけないんだよ」と優しくたしなめていた。「あと何年生きるの?」を言い換えると「あと何年健康寿命でいられるの?そして何年介護してもらわないといけないの?」となる。家内の入院で人生最後の難題が目前に迫っているのを感じた。

貴ノ岩集団暴行

貴乃花理事を降格させる提案を評議委員会に付議することが決まったようだ。今回の暴行事件の背景は集団リンチである。

・集団リンチの直接の引き金は貴ノ岩が横綱を倒す力を付けてきたことにある。

・白鵬をトップに据えるモンゴル勢は貴ノ岩の親方が貴乃花であることに脅威を感じている。理由は貴ノ岩が本気で勝負をするように仕込まれているから。その結果白鵬は今後優勝を積み重ねることが望めなくなると予感している。

・そこでモンゴル勢の意向を汲むように貴ノ岩の説得を試み、その結果リンチを日馬富士が実行した。白鵬はリンチを黙認し、貴ノ岩を自分の意向に従うように仕向けた。

・貴乃花は部屋の力士が今後ともモンゴル勢に敵視されることを十分感じている。稀勢の里が日馬富士との取り組みで大けがを負い、その後思うように回復していない。これもモンゴル勢の作戦だったのかも知れない。貴ノ岩についても今後力士として復活できなければ、モンゴル勢の一致団結を誇示する絶好の先例となる。日馬富士はモンゴル勢の先方の役割を完璧に果たした。

・貴乃花が事件の背景を話さない理由は、勝負師としてプライドがあるからで、モンゴル勢の談合はいずれジャーナリズムが明らかにするだろうと考えている。本来は相撲協会が自己改革すべきだが、トップは談合を阻止する組織改革に取り組む意志が欠如している。

モンゴル勢の忖度は白鵬を頂点としている。従って白鵬が横綱である限り今後とも明に暗に集団リンチが発生する可能性が高い。今後白鵬の相撲を見たいとは思わない。上手に取り組みを演技していると疑う目しか持ち合わせていない。貴乃花部屋の力士に声援を送るのは無論である。

恩師の告別式

寒さが身にしみる冬の朝に自宅を出て、電車を乗り継いで五反田周辺の斎場に赴いた。恩師の告別式に出席するために夫婦で出かけた。斎場では6組の告別式が同時に準備されていた。訪問者は祭壇に向かって左側の椅子に座るように案内され、右側の席には親戚の方々がお座りになった。確か天台宗の副館長と案内があったと思うが、読経が10時から始まった。20分もすると家族の焼香、親戚の焼香、に続いて参列者の焼香となった。参列者は全体で50名程度であった。斎場では線香の煙と臭いで風邪気味の家内が咳き込んでしまい、一時室外に待避した。読経が終わると最後の別れの儀式となった。全員で順にお棺に花を入れて別れの挨拶をした。娘さんが我慢できなくて嗚咽していた。喪主の挨拶が印象的であった。2年前に奥様を亡くしお一人で暮らしていた先生を新築の自宅に引き取り、昼はデイサービスで、夜は家族と同じ家で過ごし、孫と一緒の生活を送ることができた。孫5名は先生が功績を挙げて表彰されたイベントに関連した名前をつけた。また85歳で他界された先生が大学院生時代に製作したディジタル交換機が未来遺産として登録されたことも紹介された。息子さんは精一杯高齢の先生をお世話されたことがお話しの様子から感じられた。お幸せな人生を送られた恩師は天国で満足されているに違いない。