2007/7/30 月曜日

自民党大敗と年金システム

Filed under: 若者に話したい仕事の経験 — mizusawa @ 17:04:14

昨日の参議院選挙で自民党が歴史的な大敗を喫した。その最大の理由が年金システムにある。国民が信用しきっていた日本国の年金システムが、報道されるようにいい加減な運用がなされていたとして、国民が怒り心頭に達すのは当然である。私はコンピュータとネットワークを組み合わせたシステムの開発運用に40年間携わった技術者として、また現在そのようなシステムを大学で教育している教育者として、国が運営する巨大システムの監視体制を新たに組織化する必要があると感じる。
税金の無駄使いは会計検査院がチェックする。中越沖地震災害で報じられているように、気象など自然災害に対して対応する国の組織もある。原子力発電所の安全に責任をもつ組織もある。年金システムの問題は明らかに官僚組織および巨大会社が引き起こした激震ともいえる人災である。国家レベルの「システム人災」を二度と引き起こさないように、国が運用する巨大システムが適正に開発・運用・更新されているかをチェックする「国家システム検査院」の設立が求められる。
国民の目線からも当然であるが、システム技術者の立場からも、年金システムは基本的なシステム設計要件を全く満たしていない。
・年金システムに求められる基本的なデータの管理と記録が適正に行われていない。
・旧式なシステムの維持に膨大な設備投資を継続し、長期間運用するシステムに不可欠なシステム更新が適切に行われていない。
このようないい加減なシステムを日本国が運用していたとなれば、世界中が日本を「技術先進国」と見ていたイメージは一挙に低下するであろう。新幹線の技術、原子力技術、スーパコンピュータの技術は日本が世界に誇る技術で、現在世界に売込み中である。年金システムは、学生たちが入社を希望する代表的な日本企業がその開発運用に係わっていたというから、なおさら深刻な問題である。
「システムの問題は複雑で、誰も手がつけられず、結局対策がなおざりになる」と新聞報道があった。この報道は通常そのように理解されているという意味で正しいが、システム技術者から見れば明らかな誤りである。経験と能力が高いシステム技術者に一定の権限、たとえば「システム改善を勧告する権限」を与えれば解決できる。
日本が近代国家として今後も発展を継続するには、巨大システムに大きく依存することは避け難い。特に国家レベルの巨大システムは、国の行政の手足であり、二度と人災を起こしてはならない。

2007/7/25 水曜日

インドで出会った小さな親切

Filed under: 小さな親切 — mizusawa @ 21:08:01

3月にインドを旅行した。初めてのインド旅行1週間で、びっくりすることが多かった。あらゆるタイプの乗り物が押し合いへし合いしているニューデリーの道路でびっくりし、地方都市に行ったら混雑した道路のど真ん中に大きな牛が何頭も寝そべっているのを見てまたびっくりした。
友人に連れられてレストランで食事をしたら、アルコールがメニューに無いのにびっくりして、物足りない気分になったが、数日で慣れた。地方都市の道路がデモの影響で閉鎖されていて、延々と待たされ、我々が乗っていた停車中の車に子供が沢山群がって窓をたたき、お金をせがむ子供の数が多いのにも閉口した。
ニューデリーの地下鉄は確か3路線で、日本の援助で建設されたと聞いた。地下鉄の改札を通る前にセキュリティチェックがあり驚き、同時に地下鉄構内では写真をとってはいけないと警備の人に注意された。
秋葉原のような電気街に地下鉄で行くことにした。我々が乗車した地下鉄の車両はきれいで、日本の地下鉄のように混んでいた。途中の停車駅で少し離れた所の席が空いたので、私はそこをめがけて歩いた。すると、ホームから社内に駆け込んできた若い女性が素早くその目的の席に座ってしまった。
その時私の行動に気がついた、近くに座っていた男性が席を譲ってくれた。私は軽く会釈して席に座った。目的地の駅に到着するまで10分くらいだったと思う。その男性は近くに立ったままだった。私は下車するとき再度会釈して「ありがとう」をそっと言った。
道路を閉鎖するストライキで車が何回も長時間渋滞に巻き込まれ、その間お金をせびる子供たちが次々と我々の乗った車の窓をたたいていた。3時間で目的地に到着する予定が丸一日かかってしまったとき、インド旅行は今回限りにしようと考えていた。が、地下鉄に乗って考え方が変わった。またインドに来たら、やさしいインドに出会えるかも知れない。

2007/7/20 金曜日

上司の仕事:部下の借金

Filed under: 若者に話したい仕事の経験 — mizusawa @ 21:15:19

国会で消費者金融の貸し出し金利が引き下げられたのは大変良かった。新しい金利で良いとは言わないが、少なくともつい最近まで日本は金貸しばかりが目立つ恥ずかしい国であった。電車広告も、町の中の派手な広告も、消費者金融が目立つところを抑えていた。新聞記事に書いてあったと思うが、消費者金融にとって、50万円を貸して、一生利息を吸い上げることのできる顧客が最上の顧客とされていたようである。
部下が消費者金融から借金して、その影響が会社にまで及んできたら、上司はどのように対処したらよいのであろうか。消費者金融から借金の支払いを求める電話は会社にもかかってくる。ただし、電話をかけた側は友人を名乗っている。「こちらから折り返しお電話しますので、電話番号をお知らせください」と返答しても、決して電話番号を教えてくれない。この友人を名乗る電話は日に何回もかかり、毎日連続するようになる。上司としては、「おかしい、何かあるぞ」と感じ始める。
あるとき、たままた電話番号を教えてくれた例があった。その友人に上司が本人と偽って電話をしてみた。電話の向こうでは騒々しく次々に電話して、借金の弁済を催促をしている様子が聞こえた。上司が借金のことを知ったと、本人は知っていただろうか。上司は数ヶ月我慢して、本人が自主的に問題を解決することを待っていた。しかし、ことはだんだん悪い方へと進んでいった。前にもまして、友人からの電話が増えた。
上司は仕方なく本人に借金の件について問いただした。消費者金融3社に200万円ほどの借金があることが分かった。上司は本人を伴って3社に出向き、借金を立替払いし、給与から徐々に天引きすることにした。本人と一緒に行った消費者金融の態度は3社3様であった。上司の顔を見て、貴方は誰ですか?と質問された。「余計なことをしないでくれ」と言われた気がした。別の会社では、借金弁済後、「2度と本人にお金を貸しません」という登録をコンピュータにしてくれた。この登録が役に立ったかどうか分からないが、少なくとも上司の希望に沿った配慮であった。
これで友人からの電話はかからなくなった。少しずつではあるが、給与から天引きすることで会社に弁済する仕組みもできた。しかし、3月も経過した頃、また友人からの電話がかかるようになった。そして本人はまもなく会社にこなくなった。むろん連絡を試みたがそれも無駄であった。上司は自分のしたことを悔やんだ。

2007/7/18 水曜日

町を散歩して、小さな親切を拾いました。

Filed under: 小さな親切 — mizusawa @ 19:43:00

数週間前、少し暑いかなと感じる晴れた日に、御茶ノ水から新宿まで散歩しました。中央線に乗れば20分もかからない距離ですが、次の仕事まで3時間ほど余裕があったので、暇に任せて優雅に散歩と決めました。神田川沿いに外堀通りを歩いて行きました。40年以上前の学生時代に見たはずの景色も、全く思い出すことができず、ただ道が交差点で枝分かれしている方角だけが記憶と一致しました。
水道橋に近づいた道沿いの左手に、江戸時代の上水について説明する記念碑がありました。飯田橋の手前にはハローワークの看板が右手に見えました。飯田橋駅前には巨大な歩道橋がかかっていました。何時からこんなに大きな歩道橋になったのか、覚えていません。歩道橋をJRの駅側へと階段を下りたとき、そこに若い女性と盲導犬が居て、もう一人の女性と何かを話しているようでした。行き過ぎようとしたとき、通りかかった若い男性に女性が何かお願いしている様子でした。
私はいつもと違って、その女性を手助けできるかも知れないと、「お手伝いできますよ」と声をかけました。盲導犬を連れている若い女性を、この大きな歩道橋を使って、ハローワーク側まで連れて行って欲しい、ということでした。
私は盲目の女性を案内したことはありませんでしたので、少し躊躇しましたが、その女性が私の左手で盲目の女性の右手を握るようにしてくれました。女性は、歩道橋のまえで盲導犬と立ちすくんでいた若い女性に声をかけた、通りすがりの方だったと思います。
若い女性の手を握って、歩道橋の階段を登り始めました。若い女性は苦もなく普通のスピードで階段を上りますし、盲導犬も実にスムースに一緒に歩くのに感心しました。巨大な歩道橋は四角形になっていますので、どちらの辺を歩いても行けたのですが、歩道橋についているハローワークの案内表示を見逃さないように注意して、対角線反対側の階段までたどりつき、「ここから下り階段ですよ」と話しかけて階段を降りました。時間の余裕もありましたし、ついでにハローワークまで一緒に行きました。
無事に送り届けてから、また飯田橋の巨大な歩道橋を歩きました。最近流行のユビキタス技術を歩道橋に利用すれば、若い盲目の女性も一人でこの巨大な歩道橋を渡れるのに、と思いました。でも、待てよとも考えました。久しぶりに一つ「小さな親切」をした満足感が心にありました。「ユビキタス歩道橋」が未完成だから、「小さな親切」を散歩で拾いました。

2007/7/11 水曜日

イラクでの兵役

Filed under: 若者に話したい仕事の経験 — mizusawa @ 21:20:26

韓国から日本の大学に留学している学生と1対1の懇親会をした。いつも明るい顔をしていて、人なつこく、好印象の青年である。日本の大学に私費で留学して2年が経過したところで、母国の兵役義務で2年間イラクに駐留した。私はイラクに派遣された自衛隊の活動が日本のメディアで騒がれた経緯を知っているので、「イラクに行くとはずいぶん勇気があるね」と話しかけた。イラクの兵役で当初は緊張したようであるが、終わって見れば、それほど緊張する場面はなかったと話していた。
それより、2年たってから元の日本の大学に戻って彼はずいぶん落ち込んだと言う。同じ時期に大学に入学した日本人の友達はすでに大学を卒業して、会社の話をするようになっていた。大学院に残った同年代も、後輩の学生を指導する立場になっていた。彼はイラクでの兵役中、日本の大学で勉強する楽しい生活に戻れることを夢見ていた。2年間のギャップが大きく、戻った日本の大学にはかっての友達は居なくなっていた。若い時代の2年間は確かに大きな環境の違いを生む。
半年間落ち込んだ後、また若さで復活したようである。現在3年生で、日本で仕事をしている国際的な企業に就職したいという希望を持っている。夏休みを前に、企業のインターンシップに積極的に応募する予定である。兵役に行く前に比較して、兵役後は自分の将来をしっかり考えるようになったという。兵役中に濫読した日本語の小説の効果があって、日本語の話し方は日本人と区別するのが難しいほど流暢である。しかも書き方を勉強をしなくても、漢字が沢山書けるようになったと言っていた。
兵役の是非は別として、彼は着実に成長している。

2007/7/9 月曜日

小さな親切とブログ

Filed under: 小さな親切 — mizusawa @ 19:06:39

ネットでブログが自由に書けるようになった。このような時代の進歩は社会に何をもたらすのであろうか。
学生時代に印刷技術の進歩が人類に大きなインパクトを与えたと勉強した。書物は人類の知恵を集めたものだ。その知恵が本の形で人々に紹介され、広まり、より豊かな社会を実現するのに役に立った、としよう。
ブログは一般の人、つまり有名作家でなくても、ネットに個人の経験を載せることができる。その情報をどのように活かすかは、ネットを利用するその時代の人々の知恵に依存しよう。ブログが与える影響を考察するのは難しいので、より良い社会にするブログの使い方について、皆がアイディアを競うことを提案しようと思う。
「小さな親切」はそのような一つの提案である。私は学生時代、「小さな親切運動」の記事を新聞で読んだ。確か東大の茅先生が音頭を取られていた。最近では「小さな親切」という言葉を耳にしない。目立たない親切が「小さな親切」であり、「小さな親切」は吹聴することははばかれる。それが私の時代感覚である。
でも、今はブログの時代、と考え直してみても良いのではなかろうか。ブログに書くことは「吹聴ではない」としたら、「小さな親切」をしたときの、「誰かに話したい」という気持ちを解放することができる。「小さな親切」を大切にし、気にかけてくれる人が少しずつ増えるのではないか、そのような期待がある。
「小さな親切」の小さな実験をこのブログで試みよう。

2007/7/5 木曜日

上司の仕事:部下の首を切ること

Filed under: 若者に話したい仕事の経験 — mizusawa @ 22:43:40

上司の仕事にも色々あるが、一番きつい仕事が、部下を首にすることであろう。私の同年代の友達はその昔、大学を卒業すると同時に外資系の企業に勤めた。その頃は外資系の企業に勤めることで、給料が多くてうらやましいなと私は思った。日本の給与レベルるが欧米に比較して相対的に低い時代であった。
日本の経済力が発展して、いつの間にか、日本人の給料は欧米人の年収と大差なくなった。バブルがはじけた頃である。友人が勤めていた外資系会社は、営業成績の悪いセクションを別の外資系会社に売りに出した。買った会社は、会社の整理を専門とする会社であった。友人はそのセクションの長として、新しい会社に移った。言いつけられた仕事は、自分の部下を計画的に首にする仕事であった。
彼は自分の部下を退職させる仕事に大変悩み精神的にも消耗した。部下を説得して順に退職させた並々ならぬ努力に敬服する。何とか全員を退職させたところで、自分も退職の道を選んだ。部下を首にして自分だけ会社に残ることは、日頃のんきに見える友人でもできなかった。それから1年間は就職する気も起こらなかった。
上司の仕事には、このような過酷な仕事もある。友人は1年以上ぶらぶらしたあと、奥様に尻をたたかれて、再度外資系企業に就職した。現在は、前の仕事に比較すれば格段に気楽な上司の仕事をしている。

2007/7/3 火曜日

嫌われる職場

Filed under: 若者に話したい仕事の経験 — mizusawa @ 21:13:52

昔々の話です。大学院の入学試験がありました。有名大学の工学部を卒業して、鉄道会社に有能な新入社員として就職した女子学生が、1年そこそこで大学院の入試面接に来ました。一度社会に出て大企業に就職したのに、なぜまた学校に戻ってきたのか不思議に思いました。女子学生は小柄で可愛らしく、有名大学卒を態度でみせるような人物には見えませんでしたが、好き嫌いがはっきりした性格だったと思います。
面接で私は質問しました。「今の職場で十分働けるはずなのに、大学院を受験しようという動機はなぜですか?もっと学問を深く探求したいという希望が沸いたのですか?」
女子学生はどのように答えたらよいのか迷ったようですが、次のように言いました。「今の職場が嫌いなので退職しようと考えました」
「どんな会社に勤めようと、仕事では苦しいことや大変なことがありますが、何が理由で嫌いなのですか?差し支えない範囲で説明してください。」
学生は今度は躊躇せずに説明しました。「同じ職場の年配の男性社員が机から爪切りを出して、職場で足の爪を切るのです。」
私の一方的な推測であるが、職場の男性社員は、有名大学卒のかわいい女性社員が同じ職場に居る事に、やんわり抵抗したのかも知れない。その作戦が成功して、彼女は退職した。
今では、セクハラを厳に戒める社会的なルールが定着しつつある。職場で足の爪を切るようすを若い女性社員に見せびらかすことが、セクハラに相当するのかどうか私は判断しかねる。ただ、そのような職場は「若い社員」に嫌われる。そして職場の未来もない。
女子学生は2年間の修士課程を修了して大メーカに就職し、結婚し、子供も生まれ、現在キャリアウーマンとして活躍している。

2007/7/1 日曜日

ケシの花と学生

Filed under: 若者に話したい仕事の経験 — mizusawa @ 19:19:38

7月に入った。この時期になると15年ほど前の出来事を思い出す。さる国立大学に勤務していたとき、出張先のフランスのホテルに日本から電話がかかってきた。ある学生のお母さんが「先生助けてください」と言う。急遽飛行機便を変更して日本に戻った。大新聞の全国版に、3大学の学生がケシの花を採取したとして逮捕された、と小さな記事が報道されていた。
毎年のように類似の記事を目にする。学生は夏休みで自由を満喫するのであろう。北海道の原野できれいな花を見つけて、それがケシの花で麻薬の材料であることを知っていながら、軽い気持ちで数本採取する。3名の学生はケシの花を手に入れたことで、面白半分にもっと沢山取ろうということになった。翌日自動車で再度現場に行き、自動車のトランクに次々にケシの花を詰め込んだ。学生たちは、地元の人がその現場を知っていること、それに同じようなことを誰でも考えることについて、よく考えるべきであった。通報があり、警察に逮捕された。
私は慣れない北海道でレンタカーを借りて、広々とした大地を走って、北海道の東の外れまで行った。警察に面会を求め、取調べの様子を聞き、それから監獄(収容所?)に行った。学生に面会することができた。学生は面会室のガラス越しに見えるところで、土下座して謝った。
現在その学生は立派な社会人として、超有名企業で働いている。学生時代の小さな失敗は、社会のルールを守ることが大切であることを彼に教えたに違いない。

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