2008/8/31 日曜日

ジョギング:不審者と防犯

Filed under: ジョギング — mizusawa @ 15:06:11

本日8月31日日経新聞朝刊16面にトレイラルランニングの紹介があった。山道のジョギングのことで、愛好者が増えているそうだ。
記事の中に、「町中で黙々と走るのは一時間が限度」という専門家の言葉が紹介されていた。多少筋が異なるが、町中を走るジョギング愛好者として、町中のジョギングが役にたつと説明したい。
最近わが町でも留守宅に泥棒が入ったそうだ。警察から最近怪しい人を見かけなかったかという問い合わせチラシが郵便ポストに入っていた。普段近所付き合いの範囲が隣の住民に限られているので、近所の人と泥棒の見分けがつかない。同じ町でも、怪しい人や見かけない車を判断するのは難しい。ただ、時々車の走り方を見て、住民ではなさそうだと感じることがある。また、ジョギング中に妙な人を見かけることがある。背広を着て黒い通勤靴をはいているがどちらもヨレヨレで、やにペタンコのカバンをもったサラリーマン風の男性が歩いている。何となく怪しいと感じたことが複数回あった。
そのようなとき、私はジョギングの足を止め、歩いていく方向を立ち止まってジッと見る。先方が怪しい人であれば、そしてジョッガーの視線を感じれば、我が町から立ち去るのではないかと、根拠のない期待をしている。
住宅街で人通りが少ないのは、防犯上好ましくない。庭に出て工作をしたり、玄関の周りの薔薇の手入れを夫婦で熱心にしている家庭を見かけると、安心感がある。犬の散歩は、町の住人がお互いに知り合いになれるので、防犯に効果があろう。ジョギングも防犯に一役かっているのではないか。
ジョギングで地域社会に貢献できるのであれば、「防犯見回りジョッギング」という目立つTシャツをつけて走るのも一案かな。
先日、夏の暑い日に大汗をかいてジョギングしている私を見て、年配のおばあさんが「この暑いのに・・・」とあきれたような言葉をかけてくれた。その昔、夕方日が沈んでからジョギングしていたとき、前を歩いていた若い女性が私のジョギングの足音のペースが落ちたのを聞いて「キャー」と悲鳴をあげたことがある。ジョギングをしている人も不審者と思われているかも知れない。夜のジョギングは勧めない。
パソコンを使えば、Tシャツにプリントできる方法があるという。
勝手に「防犯見回りジョギング中」と書いたTシャツを作ってみるか・・・。

2008/8/28 木曜日

ペシャワール会伊藤和也さんのご冥福を祈ります

Filed under: 若者に話したい仕事の経験 — mizusawa @ 9:12:49

アフガニスタンで拉致され亡くなられた伊藤和也さんを日本人の若者として立派な人生を送られたと賞賛します。
ご両親は息子さんが希望したアフガニスタンでの活動を、「本人の意思が固いから」と認められたことも、親として息子思いの素晴らしいご判断だったと尊敬します。
伊藤さんは現地語を話し、現地の子供たちを含めた人たちと交流していたという報道から、心底アフガニスタンの人たちのために活動していたことがわかります。
生まれ育ったことのない外国に行って、その文化に溶け込むには、豊かな人間性とともに高い使命感が求められ、これは容易なことではありません。
日本の歴史でもフランシスコザビエルに代表されるキリスト教の宣教師が、ヨーロッパから見て地球の果ての日本に来て布教活動をした歴史があります。伊藤和也さんもかっての宣教師たちと同じように、命をかけた活動だったと感じます。私が所属する大学も創立者は複数の米国人宣教師でした。大学という教育の場を通して、その活動は語り継がれ、現代の若者はその恩恵を受けています。
伊藤和也さんが指導した灌漑用水路や農業技術はきっとアフガニスタンを担う将来の人々に感謝されるでしょう。
最後に日本政府へのお願い。伊藤和也さんのように立派な志をもった若者の活動を制限しないように、逆に支援する視点でルール作りを考えてほしい。それが日本人に対する世界の評価を高めることは間違いない。北京オリンピックでメダルをとった日本選手が文部科学大臣から表彰されていたが、伊藤和也さんの活動はそれ以上の高い評価を得て当然でしょう。
高い使命感をもった日本人の若者が、これからも多数世界で活躍することを期待したい。

2008/8/25 月曜日

米国エンジニアの給与

Filed under: 若者に話したい仕事の経験 — mizusawa @ 10:52:30

私が大学を卒業した昭和42年の初任給は月額2万円であった。そのころの夢は月額100万円を稼ぐ100万長者であった。それから40年経過して、給与明細は100万円にはほど遠いが、年収を12で割れば月額100万円のサラリーマンも多くなった。
昭和40年代は1USドルが360円の時代であった。米国人の給与がうらやましかった。国連など国際機関に会社から派遣されると給与が10倍になるとも聞いた。
現在は大分様子が違う。1USドルが今日のレートで110円。それでは、給与はどうだろう。IEEE Spectrum2008年8月号の最後のページに情報が掲載されていたので引用する。
米国エンジニアの給与
大学卒の初任給が年額で600万円程度。この情報はU.S. Department of Laborからの引用と表示されている。日本の学部卒の初任給よりは若干高い。
エンジニアの分野ではChemicalとComputerで人材獲得競争が活発で、年々初任給が増加している。年配者も含めたサラリーはコンピュータ分野では年額1000万円程度だ。米国企業勤務がかなえばサラリーが多いと思っていたが、日本も米国も並のエンジニアでは差がない時代になったようだ。

2008/8/23 土曜日

上司の仕事:結婚の誓い

Filed under: 若者に話したい仕事の経験 — mizusawa @ 17:33:54

研究室の卒論生、大学院生が連年のように夏休みの合宿を計画した。千葉県の九十九里海岸白子の合宿向けホテルに昼過ぎに集合した。午後は前期に行った卒論の成果を順にプレゼンテーションした。夕食後、九十九里の海岸で花火を楽しんだ。海岸は風が強く、昨年の合宿に比較して寒かった。学生は全部で11名である。
海岸は真っ暗で足元もよく見えない。風が強くて花火に火をつけることもままならない。それでも、学生たちは何とか点火して、次々に花火を楽しんだ。
ホテルに戻り風呂を浴びてから、一室にあつまり懇親会をした。今年の学生は比較的おとなしく、大騒ぎをする学生がいない。そこで、私が話題つくりをしていろいろ質問した。例年感じることだが、学生同士の日本語の会話の意味が理解できない。どうもネットの話題に関連する固有名詞がその場に飛び交い学生は大笑いをしているが、私は世代ギャップを感じながら学生の話題がなぜ盛り上がるのかが感じられなかった。
私も理解できる話題は、「彼女は居るか?」という質問に対しての学生の反応である。研究室は全員男性なので、この話題で座を盛り上げることができる。11名のうち半数以上が彼女が居るという返事であった。「何人目の彼女か?」「今の彼女とは何年付き合っているか?」「結婚すると決断するとしたら何が条件か?」これらの質問に順に学生に答えてもらったが、全員が興味を態度で示していた。
彼女についての話題でついていけなかったのが、「マック」という言葉がしばしば出てきたことだ。「マック」とは学生にとって「マクドナルド」のことだった。学生はアルバイトでありながらマックに何年も勤めると、役職のように階級が上がるようだ。学生はマックのバイトで彼女を見つけるか、同じ大学の中で彼女をみつけるか、という選択肢を持っている。
学生から人生の先輩の私に質問があった。マックであった彼女とつきあっている学生である。就職先も決まって、「結婚して夫婦で仲良くしていく秘訣は何ですか?」という質問だった。
回答は即座に「子供を作ること」と言った。「夫婦は子供を仲介にして結ばれる」「例え夫婦が喧嘩しても、子供のことを考えると仲良くせざると得ない・・・」
あれこれ思いつくことを話したが、「お父さんが仕事で疲れきって帰ってきても、子供の寝顔を見ると疲れが取れるんだ。これが不思議なのだ。ホント、不思議なんだよね・・・」と話した時、学生たちはため息のような、考えさせられるという反応を示した。
「子供は両親の不仲に非常に敏感に反応する。次の世代を担うのは子供なので、良い子供を育てるには両親が仲良くしていなければならない」とも話した。
ある学生から「それでも彼女を嫌いになることがあるのでは?」と言われ、次のように答えた。
「私の結婚式は家内の希望で教会式だった。結婚式では神父さんの前で宣誓する。」
「宣誓は本当に大切なことだな、と思います」
「彼女と一生添い遂げるという宣誓は、自分自身に誓っているので、自分自身を裏切ることはできない。」
「自分は単純な人間なので、誓いはそのまま単純に守ることしかできないんだ」
この説明は学生に分りやすかったようだ。
彼女と付き合うこと、結婚すること、子供を育てること、この一連の楽しみを大切にして、学生達に人生を歩んで欲しい。

2008/8/19 火曜日

上司の仕事:子供のゼンソク

Filed under: 若者に話したい仕事の経験 — mizusawa @ 20:14:51

子供を育てる親は必至である。会社で上司が会議中に、ご家族から電話があると、そっとメモで会議中の上司に手渡したことがある。例え会社で仕事中でも、家族のトラブルはどんな仕事にもまして気になる。
子育ての任務から解放された我が身は、子供の世代の子(孫)育てを見て、いろいろ考える。少子化の影響で子供の数が少なくなったことで、最近では一層子供に時間を割く親が増えたように思える。大学院の入試に母親が同伴で来るとか、会社の就職面接にも親が来るとか、昔では笑い話が、現在では笑い話では無くなっている。
体の弱い学生もときどき見かける。アトピーで毎月専門医に診断してもらっている学生を、会社にお願いして採用してもらったことがある。子供のアレルギーの話も時々耳にする。2世代前の我々が子供の時代には、アトピーもアレルギーも両親は心配の対象ではなかったような気がする。現在は環境がきれいすぎる反動ではないかとも思ったりする。
産学連携で町田の社長さんから「子供のゼンソク」について耳寄りな話を聞いた。社長さんがある家庭から子供のゼンソクで相談を受け、家の中の「細菌の分布」を調べたそうである。子供の勉強部屋、ジュウタン、掘コタツの中など、空気を集めて細菌を採取する。その細菌を持ち帰って培養し、細菌がどの程度居るかを勘定する。そうしたら、堀コタツが他の場所より10倍以上も細菌が多いという結果が出た。そこで、除菌の作業をした。その結果、子供のゼンソクが嘘のようにとまり、家族に感謝された、と社長は話していた。
同じような事例は多いと思うので、URLを紹介する。人柄が温和な社長なので、同じ悩みを抱えている親御さんは相談することをお勧めする。
ホームページは
http://koukin.tele.jp/
左側にメインメニューがあるので、その中の
「抗菌研究所について」
をクリックし、開いたページの一番下にある「お問い合わせ」をクリックする。
問い合わせ内容を書いて「送信」ボタンを押せば、数日以内にメールで返事をもらうことができる。

2008/8/16 土曜日

ジョギング:夏夕暮れの風景

Filed under: ジョギング — mizusawa @ 10:53:51

昨日2008年8月15日は終戦記念日で暑い一日だった。我が家は冷房を使わないで頑張っているので、部屋の温度計は32度を指していた。窓から入ってくる強烈な陽射しを避けるため、南側の雨戸を半分以上閉じて、扇風機は強で回しっぱなし。
こんな日にジョギングするのは危険と、夕方になるのを待つ。ジョギングに使う短いパンツをはいて、Tシャツを着て、早く涼しくならないかと時折外を見る。
車で図書館に行き、帰りに買い物をした。スーパーに入ると冷蔵庫に入ったように冷たく感じ、これでは風邪を引いてしまうと、屋外の駐車場で買い物の終了を待つことにした。幸い風があり、車の窓を開け放つと多少暑く感じるものの、ひと眠りするのに適当な気温であった。
夕方5時前にジョギングに出かけた。住宅街を抜け、鉄鋼団地の脇を走り、東京湾に面した海辺に出る。夕方のせいか、海岸堤防には人影が少なかった。海岸沿いに広場だけの公園がある。昼間には小さな子供連れの家族連れが多いが、ほとんどいない。公園には水飲み場が3か所あり、トイレも2か所あるので、ジョギングには好都合だ。いつもの通り、水飲み場で水道の蛇口の下に頭を下げ、水をかける。気持ちがいい。
境川沿いを走った。満潮で、釣りをしている人もほとんど居なかった。散歩やウオーキングを楽しんでいる人を見かけた。夕日はそれほど強くないものの、それでも木陰を探して、その下を走る。境川沿いには桜の木が植えてあり、この時期木の葉がびっしりついて、日陰を作っている。桜の幹は直径30センチ程度で太い。もう10年近くこの道をジョギングしているが、桜の木がどんどん成長している。
境川沿いを走っているとき、若い女性が背筋を伸ばして自転車をこぎ、私のジョギングを颯爽と追い越して行った。若い女性の後ろ姿を見て、美人を連想した。目の前の交差点で、出会い頭の衝突を目撃した。年配の女性の自転車とぶつかった。あっ・・という声で、両方の自転車が倒れた。様子から大した怪我はしていなそうだ。
更に旧江戸川沿いをジョギングした。堤防の上を走り、時々川へのゲートがあるので、階段を下がりまた昇る。ゲートのところで若い男女が座って抱き合っているのを目撃した。「おいおい、まだ昼間だぞ・・」と思ったが、野暮なことは言わずにそのまま脇を走り抜けた。
堤防からはディズニーランドのシンデレラ城やホテルが見える。日が沈む直前の青空が江戸川の上空に広がっていた。

2008/8/15 金曜日

上司の仕事:平和を祈る

Filed under: 若者に話したい仕事の経験 — mizusawa @ 14:06:26

本日2008年8月15日は終戦の日。北京オリンピック記事で埋め尽くされた朝刊の一部に「きょう63回目終戦記念日」と短い記事を目にした。
65歳の私は、東京で生まれた。生まれた直後に東京空襲をさけて両親が千葉に疎開した。そのまま千葉で育った。
小学生のころだったか、もしかしたら中学生の知識で、50歳まで生きながらえることはないであろうと予想した。第一次世界大戦が1914年から始まり、第二次世界大戦が1945年に終結した。第三次世界大戦を予想したのだ。第三次世界大戦は、中学生の計算で1970年代に発生すると予想した。
第三次世界大戦が発生すれば、徴兵制度で戦争のただなかに派遣され、運動能力や敏捷性にとぼしい我が身はすぐに死ぬことになると考えた。
米ソ冷戦のただなかで、キューバ危機が発生したのが1962年である。このときは世界が核戦争を覚悟した、まさに第三次世界大戦のきっかけになりうる事件であった。
キューバ危機は映画にもなり、ケネディ大統領の苦悩の様子が描かれていた。政治のトップが「平和の大切さ」を知っていて欲しいと思う。
1989年12月にベルリンの壁が崩壊した。TVで壁を壊す市民の姿をみて感動した。永遠に残ると考えていた政治の壁が、市民の手で解体されていた。予想もできなかったからである。1991年12月にソビエト連邦が崩壊した。それまで共産主義は一党独裁政権であるから、政治的に崩壊することはないと考えていたが、この事実にはびっくりした。世の中は民主主義が共産主義に勝ったという印象をもった。
65歳の今、第三次世界大戦が予想に反して発生しなかったことに感謝している。例え、石油価格が暴騰しようとも、自動車を使わなければ良い。自転車は石油が要らない。資材価格が高騰してマンションが買えなくなっても、小さな家に住めばよい。道路財源の暫定税率をつかって、道路が沢山整備されようが、そのせいで福田内閣の景気浮揚策がおもうように進まなくても、第二次世界大戦で経験した両親の苦労を考えれば、どうということはない。小さな我慢で世界平和が維持できるのであれば、それに越したことはない。
ロシアとグルジアが戦争状態にあると報道されている。第三次世界大戦につながらないように、切に祈りたい。

2008/8/11 月曜日

女神湖と御泉水自然園

Filed under: 熟年旅行 — mizusawa @ 10:16:34

お盆の連休で混雑する前に1週間夏休みをとった。蓼科の白樺湖から女神湖をめぐった。
白樺湖は学生時代に合唱団の合宿で訪れたことがある。40年以上も前のことで、どこの宿に泊ったのか、全く思い出すことができなかった。夫婦で白樺湖を徒歩で一周してみた。大門街道側のボート乗り場がある駐車場に車をとめて、地図の上では反時計回りになるように歩きだした。
期待したのは木陰と湖畔の散歩道であったが、期待は裏切られた。車道のすぐそばを日照りに耐えながら歩くことになってしまった。
30分ほど歩いて対岸のボート乗り場あたりで少し休憩した。水はきれいで、大きな鯉を飼っているイケスがあった。鳥居と小さな神社のある小さな島でやっと木陰を楽しんだ。
更に残りの半周に挑戦した。ファミリーランドの大規模な施設があり、湖畔の散歩というよりは、ファミリーランドの小道の散歩になってしまった。
白樺湖からビーナスラインを北上して女神湖にいった。女神湖の周囲は期待した散歩道であった。木陰があり、ジョギングしている若者が多くすれ違った。女神湖の入口周辺に体育館と運動場があったので、トレーニングに汗を流している若者が多い。女神湖一周の散歩では、湿地帯に木で歩道が作ってあり、ゆっくり歩いて40分程度の散歩は、山山を見ながら気持ちがよい。
女神湖から林道を通って御泉水自然園に行った。林道とはいっても、舗装された、安心して車で走れる道だ。自然園では広大な敷地の一部を散策した。「お花畑」の標識を見つけて小道に入ったが、なかなか見つからなかった。結局人が集まっているところを探した。園内に地図を示した標識は立っているが、どの道を歩けば良いのか分りにくい印象だ。
自然園で花を探したが、ほとんどが笹の葉の間を散歩することになった。御泉水自然園を訪れるには、時期が悪かったようである。
ただ、緑は満喫した。普段着のままで散歩し、蓼科の自然に触れた。
御泉水自然園の花

2008/8/1 金曜日

ホバリングして催促する雀

Filed under: 小さな親切 — mizusawa @ 12:47:02

8月に入った。東京から新幹線、特急と乗り継いで、富山駅の4番線についた。普通列車の出発を待つ間、駅の立ち食いソバを昼飯にすることにした。4番線のホームには人がまばらである。蕎麦屋さんの叔母さんは食券販売機を開いて機械を操作していた。
日差しは強かったがホームには適当な風が吹いていたので、心地よく汗ばむこともない。かき揚げソバの食券を買って、おばさんに渡した。コップに水道の水を入れて出してくれた。お冷ではなかった。すぐにかき揚げソバが出てきた。
次の列車の到着まで時間があるので、ゆっくり味わいながら食べた。食事をしながらホームの人影をぼんやり眺めていたら、足もとに雀が近づいてきた。痩せた雀だなと思った。足元1メートル位を行き来しているので、お蕎麦を催促しているな、と分った。
ソバを1センチ程度に切り、箸で雀の方に投げた。すぐに近づいてクチバシでくわえた。そのまま食べているようである。気がつくと別の雀が飛んできて2羽になった。今度の雀は欲張りである。蕎麦をなげても、口にくわえて待っている。かき揚げの破片を投げてやると、ソバとかき揚げ両方をクチバシでくわえようとしている。その内成功すると隣のホームの屋根の方へ飛んで行った。
また雀が現れた。この雀は先ほどの雀と同じかも知れない。目の前でホバリングして催促している。手の届きそうなところでホバリングするので、勇気のある雀だ。東京ではこのような雀を目にしたことがない。何回も蕎麦をあげた。
富山駅の雀は人なつこい。蕎麦で育っている雀が多いのであろう。駅でのんびりしながら列車を待っている間、雀と遊んで楽しかった。小林一茶が雀とたわむれた気持ちを知った気がする。雀がくれた小さな親切かな。

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