青梅マラソン

日常的に週末にジョギングをするようになったのは30歳になったときだった。会社勤めを10年近く経験し、仕事の成果より体が健康なことが優先すると判断したからだ。
そのころ住んでいた会社のアパート周辺を時折ジョギングした。ジョギングをし始めるとマラソン大会に参加したくなる。青梅マラソン30kmに参加するようになった。
青梅マラソンはマラソンで走る道沿いに電車線路がある。途中で走れなくなっても、電車でゴールにいくことができる。だったら30kmに挑戦してみるか、と青梅マラソンに初めて参加したのは30年ほど前のことだ。
当時青梅マラソンは1万人以上が参加するマラソンとして有名で、スタート地点を全員が通過するのに5分以上かかるので、その様子がTVで放映されていた。私が参加した時も上空にはヘリコプターが5台ほど旋回しており、スタートの気分を盛り上げてくれた。
スタートしてしばらくは前がつかえているので、ゆっくり走るしかない。しかし最初から無理して早く走る人は、いずれ追い越されることになる。青梅マラソンのコースは全体で30km、その半分の15kmまで上り坂で、折り返すとほぼ下り坂ばかりだった。確か瀬古選手が走ったこともあった。登り坂の10km地点で瀬古選手とすれ違う。倍の速度で走っていた。
折り返し地点では家族が待っていてくれた。汗をかいているので着替え、また走りだした。最初に参加した時はエライ目にあった。折り返しを過ぎて、足の裏に小さな豆ができた。
その豆はどんどん大きくなり、ついには足の裏全体が膨れて一つの豆になった。若かったから、最後まで何とか走った。
年齢が進むについて、青梅マラソンの30kmは負担に思えるようになった。ある時、電車に乗ろうかと考えた。ところが、困ったことがある。エッチラオッチラ走って電車の駅が見える地点になると、マラソンを応援する観衆の数が増えてくる。ガンバレと言われるので、駅に行くのは勇気がいる。結局電車に乗らずに次の駅を目指して走ることになる。
ある時、ついに観衆の列を突破して駅に行った。さて次の電車はいつ出発ですか、と駅員さんに聞くと、30分後です、と返事。時計を見て考えたら30分走ったらゴールについてしまう。このときも、また電車に乗れなかった。
ジョギングはいろいろ人生経験をさせてくれる。

就職とフリータ

また大学3年生が就職活動を始める時期になった。来年は就職先生が厳しくなると予想できるので、学生も様子が変ろうが、今年の春までは以下のように言われていた。
大学を無事卒業して会社に入っても、3割が3年以内に会社を退職する。そして恐らくフリータの道を選んでいる。
学生と就職の話が話題になると、いつも次のように話す。
会社に入ったら一人前になるのに少なくとも5年はかかる。5年間同じ職場で仕事を忍耐強くこなす気持ちがなければ、どこに行っても使い物にならない。
私よりもっと若い先生は「転職してもいいんじゃない」と話す。今風の感覚で話しているのだろう。
同じ話題を別の方向から説明することもある。
大学を卒業したとき、あるいは大学院を卒業したとき、日本の企業は大学生を新品とみなして大歓迎してくれる。しかし、一度フリータになったら、君たちは中古だ。中古自動車には中古としての扱いしか待っていない。したがって新品のときに注意深く就職先を見定める必要がある。
中古自動車と一緒というフリータの説明は学生に分りやすいようだ。学生はそうかも知れないと感じている。更に別の言い回しで説明するとこのようにもなる。
電車には転職を勧める広告が沢山ある。一昔前までは消費者金融の広告が多かった。相も変わらず多いのがドリンク類だ。広告で稼ぐ業界には、広告が必要な理由がある。よく考えれば、広告は広告を見ている人のためにあるのではなく、広告を出している人の利益のためにあるということを思い出して欲しい。
転職を勧める広告は、転職にさそっているが、転職して得をするのは転職する本人ではなくて、転職をあっせんした会社だ。
その昔何かの出版物に書いてあった話だ。会社のリストラで、退職してほしい人が退職してくれない。会社は転職斡旋会社に依頼して、退職してほしい人にヘッドハンティングの話をもちかけてもらった。
学生に言う。ヘッドハンティングの電話が君にかかってきたら、もう一度冷静に考えた方が良い。君が欲しくてヘッドハンティングの誘いがきたのか、それとも君を退職させたい人がヘッドハンティングの手配をしたのか。自分の実力判断を誤るとその先の人生は、転職転職の繰り返しになる。転職して成功する人はごく一部なのだ。

初秋午後のジョギング

土曜日曜の早朝、6時ころ愛犬が朝食を催促して吠える。ご近所迷惑になるとマズイと思いながらも、いつも面倒を見ている奥さんが起きないかなと我慢して待っている。これは我慢比べだが、仕方ない今日は僕の順番だと、起き上がる。
朝食を済ませると、朝のトイレ時間で、犬と散歩に出かける。いつもの決まりの場所に連れて行く。それから近くの広い公園へと散歩を続ける。引っ越ししてきた10数年まえには清掃工場だったところだ。土がダイオキシンで汚れているなど一時トラブルがあったと記憶しているが、今は奇麗に整備され気分の良い朝の散歩コースだ。公園は早朝から犬の散歩と人の散歩がチラホラ見え、色とりどりの花が咲いている。植物に全く興味ない私が、ジオトープという文字をみて、昔の小さな小川を人工的に作っているんだ、と地域の活動を知る。
午後になって、ジョギングに出かけた。春には桜の花のトンネルが見事な通りに、桜の落ち葉が積もっている。川を渡って別の道に入るとイチョウの葉も落ちている。小学生の帰宅の時間帯で、何人もすれ違った。
工場地帯の脇の道を走って、東京湾が見える海岸の堤防に出る。初秋の風は涼しくて爽やかだ。少し風があったが、東京湾の向こう側、横浜はモヤがかかって見えない。平日なので、家族づれは居なかった。
境川に沿って走ったところで、桜の落ち葉を踏む音が後ろから聞こえた。自転車が後ろから近づいている、と気がついた。ジョギングしているとき、静かに後ろから追いかけてくる自転車があることに気付きにくい。方向を変えるときに、自転車にぶつかりそうになったことがある。この時期の落ち葉は、自転車が近づいてくることを教えてくれるんだ、と新しい発見をした気分になった。
ディズニーランドの駅とは反対側の海寄りを走った時には、すでに陽が落ち、薄暗くなり始めていた。以前、多分事故が発生したところ、ジョギング中に大きなバイクが横倒しになっていた急カーブ近くで、警察の車2台、バイクと6人ほどの警察官を見かけた。
カーブを曲がりきったところには、歩道で二人の警察官が車の速度を測定している。ここは良く事故が発生する場所なのだろう。
本日のジョギングのゴール旧江戸川の河口に到着した。1年ほどまえだと思うが土手が整備され、対岸までの広い川幅を見て、その上に広がる夕暮れの空を見て、気分が大きくなる。江戸川河口の川面に遠くの街灯の光がチラチラ反射している。暗くなった川べりで、釣りをしている人が6人ほどいた。
足はくたびれて「うごきたくない」と言っていたが、心は長距離を走って満足だった。

金融危機と騒がしいが・・・

お金はまず貯めて、その中から使うものだよ。決して消費者金融からお金を借りてはいかん。利息分だけ大損することを分かっているね。お金を借りたくなったら、親に借りなさい。親は金を返せとは言わないから。
大学3年生向けの「情報と社会」で私が毎年決まったように話している一つの話題だ。「大学生になったら世の中の常識を知っているのが当然」と一般の大人は考えるが、そうではない。話さなくても良いような、社会で生きていく上で当然のことこそ、若者に話すことが必要だ。学問よりも重要だと考えている。
最近急に騒がしくなった「金融危機」、報道機関は戦争でもはじまったような大騒ぎをしている。けれど、株価の上がり下がりは当然のこととして誰もが理解しているのでしょう。事実を伝えることは無論大切だが、株を売ったり買ったりする人は、値段が下がれば損をすることを知っている。
そもそも時価による資産という計算が「まゆつば」に思える。株の保有資産額が減少したとしても、また円が1ドル95円と高騰したとしても、そのことは「第二次世界大戦に敗戦した」ことに比べれば大したことはない、と考える人はいないのだろうか。皆がお金を使わないという「塹壕(ざんごう)」に閉じこもるのは、馬鹿げている。まして、銀行がお金を貸さないと本業を放棄することは、アホとしか思えない。お金で困っている人がいれば、リスクを覚悟でお金を貸すのが銀行の社会的な責任、つまり仕事だ。
我々は仕事をすることで、社会の価値を生産しているので、株価の上下で社会の価値を生産しているのではない。我々庶民にできることは、普段の仕事をたゆみなく続け、1ドル95円以下になっても、世界が欲しがる自動車を生産できる国をつくることだ。今がチャンスだ。もっとロボットと情報ネットを活用して生産設備の近代化に取り組もう。
金融危機だ、株価が下がった、円が高騰したなど、つまらることに振り回されるな。仕事は与えられた環境で頑張るのが基本。
・・・・と言ってみたかった。今の日本は平和すぎて、賛同する人はいないだろうが。

金融危機の解釈

毎日株価の大幅下落が報道されている。世界同時不況の様相だという。原油価格がついこの間達成した市場最高値の半分を割り込んだことも報道され、貧しい国では食糧価格の高騰で暴動が発生していることも報じられている。これらの大きな変動は、お金の流れが発生すると儲かる金融機関には利益に結びつき、経済が安定していて初めて着実に仕事ができる分野の産業には打撃を与える。
金融分野の素人の私でも、これだけ騒がれればこれからの自分の生活にどのような影響があるかと懸念する。また、何が原因でこのような混乱が発生したのか知りたいとも思う。原因は米国のサブプライム問題だと報じられており、そもそもお金を貸してはいけない、つまり回収できない可能性が高い低所得層が家を購入する資金をサブプライムとして貸し、そのリスクを世界に分散する仕組みを米国と世界の金融機関が作り、そして当初から予想された金融危機が発生したということのようだ。
正確には判断しかねるが、小さな詐欺ではなくて、世界的な規模の詐欺を米国発の金融の仕組みが造り上げたという印象だ。そして金融大企業がその明らかな詐欺に自分も加わり、自らが苦しくなったら、公的資金で政府が救済するという。米国の納税者が、ぼろもうけをしてきた米国金融界の不祥事に公的資金を利用することに、本能的に反発したことは、当然だと思うし、共感を覚える。
しかし同時に日々の生活が安定しなければ、我々も困るので、公的資金投入も止むを得ないとも理解できる。世の中は往々にして、このように相矛盾する判断を求める。
今回の金融危機の報道からいろいろ感じた。金融機関は本来国民から信頼されていることが前提なのに、利益を重視してリスクを沢山抱え込み、そして破たんさせた。再度金融機関の社会的な道義を明確にして欲しいし、その金融機関のスタンスと実際を評価して国民に公開する仕組みが必要だ。ガソリン価格の高騰やその後の下落、食糧危機は、世界が一つの手段に頼ることの危険性をあらためて明らかにした。何事についても、政策や技術開発についてだが、多様な手段を準備して代替えが可能な方策を今後構築していく必要がある。ガソリン価格が低落しても、代替エネルギーの確保のために技術開発を進めなければならないし、食糧を自国で生産して大半賄えるような政策を強力に推し進めることである。
とりあえず日本で食品価格暴騰で暴動が発生するような現状にないことに安堵をおぼえる。現在の日本が豊かな国だからであろうが、今後も米国や世界の動向に惑わされずに、安定した社会であって欲しい。

愛犬の腫瘍手術、その後

我が家の高齢犬、ミニチュアダックスフントのエナはお乳にできた腫瘍を外科手術で一部取った。当初は子宮も取ろうというお話が獣医さんからあったが、結局腫瘍の発生した部位だけ切除してもらった。お医者さんに手術のために預け、2泊して引き取ってきた。手術痕はガーゼ状の覆いがしっかりとついていた。一週間後に経過を見るために再度病院に連れて行った。
獣医さんは切除した腫瘍は「良性」という検査結果が出たと話してくれた。良性なら体の内部に転移している可能性が低いので少し安心だ。術後の経過も良いとのことで、1月後に再度来るようにと言われた。
手術の痕は5針ほど縫っていた。病院ではその糸を目の前で手際よく抜いた。手術の痕をエナが舐めても問題ないそうだ。その後1週間は患部が膨れ、もしかしたら再度腫瘍が出てきたのではと心配したが、だんだん小さくなっておさまった。患部の膨れが見られる間は、エナは元気がないように見えたが、今は元の元気なエナだ。
朝6時前から「おなかがすいた」と吠える。近所迷惑になることを心配して起きる。6時に朝ごはんを食べさせ、それから散歩に出かける。眼は見えないようで、ときどき歩道のブロックなどに鼻先をガツンとぶつける。長い鼻を曲げて「少しいたかった」という表情をするが、それだけだ。
30分ほど家の周囲を散歩し、公園2個所を回る。早足でトコトコ歩く。エナは他の犬に出会っても、愛想がない。ただ突っ立っている。散歩の途中で飼い犬に吠えられると、急いで逃げようとする。
愛犬エナのお乳にできた腫瘍で、最近のお犬さまの病院が人間並みに高度な医療器具を使っていることを知った。どの程度の治療をするかの決断を迫られたとき、家族の一員であるがゆえに難しい判断を迫られた。天命と考えるスタンスで治療しない道を選択するか、それとも高度な医療で延命を目指すか。私はエナの生命力を尊重して天命を選び、最小限の外科手術を選択した。
あと半年かも知れないと一時考えたエナの寿命は今回の選択でどうなるのか。人生の賭けの一つを経験した。(おわり)