真冬のヨーロッパ(7)

駅からほぼ直線に広い道路わきを歩き、大きな交差点に差し掛かった。交差点脇のビル1階は廃業したお店があった場所と思われる。さびれた町の印象だった。交差点を右に曲がってしばらく行くと、インターネットで予約したPentaHotelが見えた。広い道路に面しているのですぐに見つけられ、これで今日の行程は一段落だ。
ホテルに入るとバーのカウンタが正面にあった。これがホテルのReceptionなのかといぶかったが、前のお客がカウンタ越しに話している様子はまさにReceptionだった。インターネット予約の資料を見せると受付はしばらく書類の束を探し、私の名前をみつけた。支払はクレジットカードか?と聞き、部屋の磁気カードをくれた。今度は1階の125号室だ。1階は右手のエレベータで昇るのだという。4泊で400ユーロの部屋を予約したので、今回は一人前の広い部屋だった。お風呂もあり、ベッドが二つ、大きな液晶テレビが壁にくくりつける形で備えてある。なぜか、冷蔵庫がない。窓は2重にガラスが組まれており、その前に暖房器具が設置され、カーテンは暖房器具と部屋を仕切る形で暑いカーテンとレースのカーテンがある。宿泊代に朝食15ユーロが含まれていない。いつものように、近くにコンビニがないか探しに行くことにした。同時に明日の会議会場まで歩いて行くルートを確認することとした。
東京では20度を超える気温だったので、Brauschweigはとてつもなく寒い。外にでると市電に乗っている人は多数見かけるが、歩いている人は少ない。北上したら、10分ほどで広場に出た。右手にはローマの神殿をイメージさせる立派な建物がありその屋根の上には馬車が疾風している銅像がのっている。広場には騎乗した領主と思われる銅像が二つあった。
目的の大学は工科大学でさらに北に位置する。道路は二手に分かれているが、左のルートで歩いて行くこととした。市電の停留所には人が集まっているが、やはり人通りは少ない。また小川を超えた。その先に大学の建物があった。道路に面した建物が大学らしい。ホテルからは30分かからずに到着した。道路わきには多数の車が駐車してあり、雪をかぶったまま何日も駐車していると思われる車もあった。大学周辺の道路は学生が歩いている。
ホテルに戻るルートは別の道を選んだ。道幅は広いが、店もほとんどなく静かだ。銅像が立っていた広場の近くにSchlossと大きな表示のある建物が複数ある。人の出入りがあるので様子をみるとレストランらしい風景が窓越しに見える。昼飯も食べずに15時になっていたので、Schlossに入ってみた。中は人でごった返していた。(つづく)
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広場に堂々と建つSchloss

真冬のヨーロッパ(6)

「10時出発と切符に印刷がありますが、現在10時で乗れそうもないのですが」窓口の女性に言うと、照れ隠しに笑って、再度一からやり直し、切符を発行してくれた。
ICUはきっちり10時25分に14番線に到着した。ICUの切符には乗車する列車の座席が書いてあり、プラットフォームには各列車の号車とプラットフォームでの乗車位置との関係が丁寧に表示されていた。到着した列車はZurich行きだった。
6号車の77番が指定座席だった。座席に行くと荷物が占領していた。脇に座っていた女性の荷物だ。「私の席です」と話したら、無言のまま荷物を棚の上に乗せた。一時間後にHannoverに到着した。列車の速度は新幹線に比較するとそれほど速いとは思わなかった。
HannoverからBraunschweigまではローカル線の小さな駅に何度も停車した。駅の周囲に民家しか見かけないようなところもあった。
途中の駅で乗車したドイツ人の年配の女性が何か話しかけてきた。ドイツ語なので分からない。最後に英語で「one Euro」と言っているのが分かった。物乞いである。断った。隣の座席、更に次の座席と順に物乞いしていた。
2階建の列車の2階に座った。車掌が一度見回りにきた。私は切符を見せたが、他の乗客は車掌が催促しないので、切符を見せている様子はなかった。2階座席からの展望は広々とした畑と広い空だった。畑には残雪が白く光っていた。
Braunschweigに到着した。ホームはいくつも並んでいるが、乗り換えの地下道はただのトンネルだ。人が行きかいするだけ。帰りの切符を買う時もトラブルになるかも知れないとDBの切符売場を探した。幸い出口は広々とした場所で、多分不慣れな人向けだと思うが切符販売オフィスがあった。これで、帰りの切符購入は何とかなりそうだ。
駅前広場は広く、市電のレールが複数あり、市電の停車場になっていた。目指すホテルまでは歩いていける距離なので、Googleで入手した地図を頼りに北に向って歩き出した。道路にはところどころ雪がのこり、氷も張っていたが、足もとが危ないというほどではなかった。ほぼ直線を20分以上歩き、途中に小川があったので写真をとり、右に曲がってホテルを探した。歩いている途中市電がひっきりなしに通って行く。歩いている人はほとんど見かけないので、日常生活は市電を使うのがここでの常識かもしれない。歩きだして失敗したかも知れない。気長に散歩すればその内到着するさ・・・(つづく)
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Braunschweigのお濠

真冬のヨーロッパ(5)

Hamburg駅の広い構内をうろうろして、DBというマークは日本のJRに相当するのだ、ということに気がつくのに少し時間がかかった。12番線のDBでBaunschweigに行きたいというと時刻を調べてくれたが、切符は切符販売所で買えという。どの自動販売機でも買えるそうだ。そこで12番線の目の前にあった自動販売機で挑戦した。行き先の駅名を日本のATMで銀行を選ぶ時と同じ要領で順にアルファベットを入力していく。駅名は出てきたが、1等か2等か、大人か子供か、何名かと聞いてくるので順に答えたが、支払は?という質問でややこしいことになった。
現金で支払いすることを想定していたが、何回試してもお金を入れろという指示が出てこない。30分は粘っていたとおもうが、出てきた印刷は列車の座席予約印刷だった。列車の出発時間10時が近づいていた。旅行に手間がかかることは常なので、そもそもたっぷり時間を確保してあり、とりあえず切符の購入をあきらめてプラットフォームを歩いてみた。
プラットフォームを歩いて別の階段を上ると先ほどより格段に広い場所に出た。DB待合室と思われる表示があったので入っていくと、入口の女性が切符を催促した。先程のプリントを見せたが、切符はここでは売っていないので下の広場で買ってきなさいと言われた。再度元の広場にでると、確かにDBと書いた切符販売所があった。やれやれこれで人にお願いして切符が買えると窓口の女性に行き先を伝えた。
Hamburgから目的のBraunschweigに行くには、途中のHannoverまでICUという国際特急で、その後ローカル列車にのる。全体で2時間程度の乗車時間だ。座席指定の乗車券代は50ユーロを若干上まった。印刷された切符を見ると10時出発になっている。時計を見ると現在10時である。すでに出発したかも知れない列車の切符がカウンタの上にある。(つづく)
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2階建列車の車内

真冬のヨーロッパ(4)

Rothenburgsort駅にたどり着いたが駅員もいなければ改札も無い。切符の自動販売機があったが、いくらの切符を買えばよいのかすぐには分からない。Hamburgの中央駅に行くつもりだったが、駅名を指定して切符を買うのではない。町全体がゾーン構成になっていて、およその距離を指定するようだ。地図ではHamburgの中央駅は数駅の距離だったので、安い方から2番目の切符を購入した。1ユーロ半程度の料金だった。一番安いチケットを買って、駅員にでも見つかったらややこしいことになる、と少し安全策をとった。
電車は高架を走っていて、時刻表では10分ごとに走っている。階段を昇ってホームに行くと丁度上りと下りの電車が同時に到着していた。慌てて電車に乗ると方向を間違える可能性があるので、やり過ごした。ホーム上の表示は綺麗で整然と説明している。電車の行先表示が示す方向が分からなくても、時間をかければ大体のことは分かる。
電車には中学生と思われる学生が沢山乗車していた。
目的のHamburg中央駅はGoogleMapではHamburgHbfと書いてあったが、乗車した列車の案内には別の記述だったと思う。多分到着した駅がBraunschweigに行く列車が出発するターミナル駅であろうと思ったが、プラットフォームに降りてもどの出口を出たら目的の駅なのか分からない。何とかなるさと人の流れに乗った。階段を昇ると、巨大な駅と沢山の人が目に入った。さて、どこで切符を買うのかなと、旅行者向けの案内で聞いたら、12番線のDBと書いてあるところだという。そこで12番を探し、確かにDBデスクがあった。これで切符が買えれば一つクリアと思ったが、そう簡単には片付かなかった。(つづく)
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Hannover駅

真冬のヨーロッパ(3)

真夜中にHamburgに到着したので、最初は電車を利用しようと考えていたが、タクシーでホテルに来てしまった。ホテルの位置は町の中心から南側と分かっていたが、ホテルの窓の外を見てもどちらの方向に向いた部屋なのか分からない。GoogleMapで事前にチェックしたときは、大きな川に面して、その川を渡る橋のそばにあるはずだ。翌朝やっとのこと太陽が昇って周囲の景色が見えるようになった。
このホテルはHISに相談しながら選んだ安ホテルであった。朝食は6時半からだったのでロビーに降りて、試しに外に出てみた。入口は回転式のドアで寒気が中に入らないようになっていた。外に出たら、確かに寒い。あわてて戻った。
朝食はバイキングだった。食事をしているのはサラリーマン風の中年男性が10人ほどで、皆一人で朝食をとっていた。バイキングではつい欲が出て食べ過ぎになってしまう。コーヒーを頼んだらカップにコーヒーを入れて持ってきてくれたが、コーヒーポットもそのままテーブルに置いてくれた。牛乳は白い牛乳用のポットにいれて、これもテーブルに置いてあったので、お腹の調子を整えようと沢山飲んだ。何も頼まないのに、直にお代りを牛乳ポットに入れて持ってきてくれた。
旅行では町の中を歩くのが好きだ。ホテルを出て、方向を確かめて、近くの駅まで歩いた。道路にはところどころに雪が残っている。道には粒上の砂がまかれていて、凍結防止かも知れない。足もとに気をつけながら数ブロック歩いた。途中道路を横断する信号のない横断歩道手前で、通過する自動車が通り過ぎるのを待っていたら、なんと自動車が止まってこちらが渡るのを待っている。ドイツでは、人が横断歩道を渡るときには自動車が止まらなければならないのかも知れない。フーンこれがドイツ流かと、気分を良くした。Rothenburgsort駅についた。さてまともに電車に乗ることができるか、新しい挑戦である。(つづく)
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Hamburg中央駅

真冬のヨーロッパ(2)

フライトがHeathrowを飛び立つ18時過ぎにはすっかり暗くなっていた。上空から見るとLondonの街はオレンジ色の光一色で埋め尽くされていた。時差があるので、日本では真夜中に相当する時間になり。フライト中うたたねをした。
Hamburgは初めて訪問する。ドイツに来たことをあるが、すでに20年以上前のことで、初めてのドイツという印象だ。Hamburg空港は大きかったが、すでに21時を過ぎていたので、Baggage Claimの場所はガラガラだった。我々のグループの荷物だけが荷台の上を回っていた。
空港の外ですぐにTaxiに乗ることができた。ガイドブックには市の中心部まで16ユーロ程度とあったが、ホテルまでは20数ユーロかかった。年配のTaxi運転手に30ユーロを渡すとなかなかお釣りをよこさない。「30ユーロ渡したよ」というと「25ユーロでいいか」と聞いてくるのでOKした。
Taxi運転手に渡した案内にはBridge Innと書いてあったが、到着したのはHoliday Innであった。間違いかも知れないと心配したが問題なかった。Bridge Innが昔の名前で安い料金の部屋を貸しているようだ。部屋の番号を教わって磁気カード鍵をもらって部屋を探したが、いくら歩いても見つからない。歩いているうちに、また元のレセプションに来てしまった。見かねた職員が案内してくれたが、廊下をいくつも渡りあるいて、奥の奥にある部屋にやっと辿り着いた。部屋は通常の半分程度の幅しかないベッドが2層構造で3つ置いてあった。設備は綺麗だったが、ドイツバージョンのカプセルホテルとも言えそうな部屋だった。(つづく)

真冬のヨーロッパ(1)

2月の寒い時期にヨーロッパ旅行にでかけた。ドイツのBraunschweigという町が目的地であったが、London往復の安い航空券を利用して、London経由でBraunschweigの大学に行くルートを選んだ。
London往復の旅券はBAが早期割引で募集していた切符で、取り消ししてもお金が戻ってこない。その安チケットで成田のBAカウンターで長い行列に耐えていた。この行列だけでも30分以上待たされたが、Luckyがあった。搭乗券をもらうところで、「本日は満員なのでBusinessを手配しました」という。半信半疑であったが、実際にビジネスシートでLondonまで旅行した。パソコンを使う電源が備え付けてあって、足がフルに伸ばせたので、BAが急に好きになった。
LondonのHeathrow空港ではTerminal5に到着した。乗り換えでHamburgへのフライトを待ったが、途中のセキュリティチェックは今まで経験したなかで最も厳格だった。お客さんが籠を下の段から取り出して、上の段に置き、コート、上着、カバン、カバンから出したパソコン、ポケットの中にあるあらゆる物、それにズボンのバンドを籠に入れた。私一人で籠が4つだ。セキュリティゲートをくぐると、丸裸と言えそうな旅客でも警報がなって、人手によるチェックが丁寧に行われていた。幸い私はブザーが鳴らずに通過した。荷物を検査装置に運ぶ籠は自動的に循環していた。最近ウエスト周りを減らしたので、ズボンを抑えて、荷物を沢山かかえてセキュリティチェックで混乱している場所から逃げ出した。
Terminal5の待合室はお店やレストランが沢山あり、ボーディングゲートを紹介する表示がいつまでたっても便名だけだ。3時間の間見続けていたが、残り一時間を切ってからやっとHamburg行きフライトのボーディングゲート案内が表示された。お客さんをお店と食事処が沢山あるエリアに待機させる商売の意図が感じられる。この広い待合空間には大学生と思われる日本人女性のグループが何組もいた。お店で、大声で楽しげにワイワイやっているのを聞いて、あまりにも声が響いていて、それに長いこと大笑いなので、同じ日本人として若干恥ずかしかった。(つづく)
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HamburgのRothenburgsort駅の表示

増え続けるヤマビル

ヒルは血を吸う一見ナメクジのような生き物だ。成虫が1センチから3センチの大きさで、3月頃から山歩きで気をつけなければならないヤマビルが最近増えている。神奈川県の丹沢山系では野生のシカが繁殖し人里にシカが近付くようになり、その結果人がヤマビルの被害にあう件数が年々増えているという。
昨日青学ビジネスフォーラムがあり、20名ほどの参加者を前に、山ビル被害がなぜ増えたのかについて環境文化創造研究所の谷氏、石川氏が講演した。
戦後植林が盛んに行われ、富を生産するはずだった林業が外国からの安い木材でコストが見合わなくなり、人工林の手入れが行き届かなくなった。一方神奈川県の山岳地帯にすむ野生のシカが一時80頭ほどに減り、鹿の保護政策がとられた結果シカが増えすぎ、シカが草木を食い荒らし山林は荒れた。
ヤマビルは強力な吸盤を二つ持ち、そのうちの一つに口があり、Y字型に配列された鋭い歯で肌を噛み切り、人の血を吸う。1時間ほど吸いついたままでも、不思議なことに人はあまり痛みを感じないという。時間をたっぷりかけて血を吸ったあとコロリと地面に落ちるのだそうだ。
血を吸うときに血がかたまることを防ぐ何かを注入するようで、人は少なくとも2週間長いと1月間かゆみに悩まされる。
ヤマビルは今後とも増えると専門家が説明していた。山に登るときは足もとのヤマビルガード対策をしっかりしなければ。
人が自然を壊し、その反動がまた人に及んでいる、ヤマビルの増加はその一例に過ぎないのであろう。

不況の中のハーフマラソン

本日2月1日は快晴、風が強かったがそれでも雨があがって助かった。昨年は降雪で中止になった浦安シティマラソン大会に参加した。9時半にスタートしてハーフマラソンを走った。
60歳以上男子でエントリーした人数は222名。スタート地点では予定したゴール所要時間ごとに並ぶので、2時間以上の看板の後ろの群衆に入った。コースは運動公園脇のスタート地点から新浦安駅の前を通過して右折し、イトーヨーカ堂の手前を右折、公園に突き当たると左折、・・・と例年と同じで、最後はディズニーシーと海に挟まれた道路を往復してゴールの運動公園に到着する。
2年前と違うことをいくつか見つけた。5km地点の標識が境川にかかる橋の中央にあった。前は橋を通り過ぎた地点だったと思う。10kmの標識も2年前よりも手前にあった。給水地点は例年のように配置されていたが、残念なのはポカリスエットが置いてなかったことだ。アクエリアスと水が配布されていた。一人でジョギングするときはいつもコンビニでポカリスエットを飲んでいるので、何となく残念な気持ちだ。大塚製薬も不況の影響を受けて広告費を削減したのだろうか。
右手にディズニーシーのコロンビア号を見ながらスタコラ走っていたら、年配の小柄な女性2名組のランナーに抜かれてしまった。「富士山が綺麗ね」という言葉に、東京湾の向こうに雪に覆われた富士山が見えた。風が強いので近くに見える。
10kmを過ぎたあたりから、追い抜かれる頻度が増えてくる。最初は若い女性に抜かれて「コンチクショウー」と気合を入れてみても、あっさり離されてしまう。そのうち60歳以上の同年代と思われる男性何人にも抜かれてしまった。
やっとのことでゴールにたどり着くと、参加証としてタイムをプリントした紙をもらった。例年ゴールに到着すると缶飲料が配布されていたとおもうが、今年はなかった。不況の影響は身の回りにも及んでいると実感した。