2010/1/31 日曜日

社会人の博士後期入学

Filed under: 博士の学位 — mizusawa @ 13:44:20

大学を卒業して社会人を10年以上経験し、博士の学位が欲しいと考えるようになる例は多かろう。自分の将来を考えると資格を取っておきたいと思うし、博士の学位は資格の中でも難関である。
私が教えているIT系学科の学生はリーマンショック以前は学部卒の段階で優秀な学生は企業に就職してしまっていた。不況になった現状でも優秀な学生は大学卒の段階で就職を希望する。100年に一度の不況が襲ってきた昨年から大学院の修士課程、つまり博士前期課程に進学を希望する学生の数が急に増えた。それでも博士後期課程への進学を希望する学生は皆無である。博士の学位を取得しても就職で不利になるというのは学生の間で定説になっている。
社会人は40代に入る頃から博士の学位が欲しくなる。その理由の一端は会社における出世競争の厳しさであり、また会社を飛び出してベンチャー企業を起こした時の社会的な信用度であろう。しかし、40代に入ってから大学に戻って学位を取得するのはそれなりに大変である。
社会人が博士後期の課程に入学して博士号を目指すことを社会人ドクターと呼ぶことがある。一般の修士卒が博士後期を受験する一般入試に比較して、社会人ドクターへの入試は便宜が図られていることが多い。学生時代から10年20年と経過しているので、社会人に学生と同じ受験科目を与えても難しすぎる。そこで、受け入れ教員と良く相談して受け入れ教員が了承していること、会社上司の推薦状があること、口頭試問や面接に重点が置かれていること、などが合格の主たる条件となっている。
私は現在社会人ドクターを受け入れる資格はもっているが、2000年からの10年間でドクターを誕生させたことはなかった。最近40歳代半ばの小さなベンチャー企業社長が博士後期課程に入学したいと希望してきた。まず入学試験に合格するところで難関がいくつか控えている。首尾よく合格しても、学位取得には少なくとも学会誌に論文を4件以上掲載しなければならない。
並大抵な努力では達成できない。幸い馬力がある社会人なので精一杯応援しようと考えている。

2010/1/26 火曜日

君はどう生きたいのか?

Filed under: 若者に話したい仕事の経験 — mizusawa @ 21:02:51

卒論の提出締め切りが迫っている。研究室の打ち合わせに欠席ばかりしていた学生が現れた。これは面倒なことになったと思った。研究室打ち合わせに顔を出さずにこの時期現れる学生は、研究はさぼったが卒論を提出して無事卒業したいという虫のよい考え方をしている。
学生には卒業研究に欠席するそれなりの理由があった。昨年の4月に卒論研究に着手してから、ある事情から医者に「うつ病」と診断される心の病にかかった。私の周囲には50代で「うつ病」になって回復できない人が複数いる。したがってうつ病は回復が難しいやっかいな病気であることを知っている。
私の選択肢は二つだ。この卒論生は「うつ病」であることは以前見せてもらった診断書から分かっているので卒業論文を受理してこのまま卒業されること、あるいは通常の学生と同じように卒業研究に取り組まなかった学生として卒業論文を受理せずに留年させるかである。
彼と数時間の議論をしたが、私の選んだ結論は後者であった。つまり正常な学生に説明するのと同じ内容で説明し、留年を促した。卒論を受理しない理由の第一として説明したのは、卒業研究に努力した他の卒論生から見た公平さだ。同時に卒論を指導する立場の私のプライドも失うこととなる。
第二に説明したのは、「君はどう生きたいのか?」ということだ。生き方には二通りある。一つは周囲の同情を得て生きていく方法、もう一つは周囲の同情をあてにせずに自分の努力で切り開いていく方法だ。この卒論生は「うつ病」という周囲の人が同情するかも知れない条件を備えている。したがって私が同情すればそれで卒業できてしまう。しかし、同じ手段が社会で通用する筈がない。
彼は一度「うつ病」にかかったことで、私を含めて周囲の同情が彼にとって心地よく、自分で努力して道を切り開いていくことに挑戦する気概を失ってしまったように見える。卒論提出を拒んだ私の判断が、彼が自立して努力し生きていくきっかけになるのか、それとも周囲の同情から抜け出せないままになるのか。
教育者として一人の学生の人生を左右する3時間の議論に疲れた。66年間の人生経験を総動員して説明したが分かってくれただろうか・・・。

2010/1/22 金曜日

フランスの家族

Filed under: 若者に話したい仕事の経験 — mizusawa @ 9:57:19

東京在住のフランス人ご夫妻自宅で開催された新年会に呼ばれた。年配のご婦人方は普段から趣味の会があり、10名ほど集まり夕食をいただいた。都心の高層ビルにお住まいで20数階にあるリビングルームは東と南向きがガラス張り。冬の風が強く、その分夜の東京を空から眺めているような景色だった。
フランス人ご夫妻は子供達も独り立ちし、家庭を築いている子供もいる。定年後に住む目的でフランスの田舎に家を買った。道沿いの古い小さな4,5軒の隣接した家を買い、一つの家に改造した。毎年クリスマスに家族全員がそこに集合することになっていたが大事件が起きたという。
フランスの古い石の家は、壁の石の厚さが50センチもある。普段人が住んでいないと冷え切っている。まして、雪が降る寒い地方に位置しているので、家族がクリスマスに集まる数日前から温めておかなければならない。そこで、業者にその作業をお願いした。電気を入れて、温水を循環させるヒータを動かした。
クリスマス休暇にご夫妻が自宅に到着すると数十センチもの水が二部屋の床に溜まっていた。どうやら何らかの理由で電気が切れ、寒さに配管が氷り、その結果パイプから水があふれたようだ。ご夫妻がこの話を新年会の参加者に披露し、賑やかに会話が弾んだ。
誰かが何人集まったの?と聞くと、奥さんは17名と答えた。そんなに人数が多いのかとビックリしていると、それでもいつもより少ないのだという。例年ならば二十数名は来ると言う。
フランス人のご主人が続けた。日本の結婚式はさみしい。両家が離れて座っている。フランスでは結婚式で両方の家族が入り混じって交流する。
さらに御主人は指摘した。日本では結婚した後、両家の交流がほとんどない。つまり双方の親や兄弟が一緒に集まる習慣がない。
フランス人は自宅に友達を呼ぶことが多い。気軽に呼んでいるし、気軽に参加している。このフランス流人付き合いが日本人になかったはずはなかろう。自ら考えても、フランス人ほど社交的ではない。さびしいと指摘されるようなことではまずい。家族同士の付き合いを工夫しなければ・・・。

2010/1/10 日曜日

正月三が日の老老介護

Filed under: 熟年の健康 — mizusawa @ 21:23:23

2010年を迎える正月3が日に92歳の父を66歳の私が介護した。介護といっても、三度の食事の準備と洗濯物の整理、寝る前の着替えで済む。父は足もとがふらついているので外出はできない。家の中でトイレに一人で行くのがやっとという状況だ。
本人は頭がボケたと言っているが年齢の割にはしっかりしている。耳はかなり遠いようだが、話す口調はしっかりしている。したがって、こちらがびっくりするような大きな声で怒鳴る。
普段は全く父の介護をしないのに、正月はヘルパーさんの手配がつかないということで、12月31日にヘルパーさんの一日の仕事をノートに記録した。元旦から3日まで、そのノートを見ながら食事の準備、洗濯物を乾燥機にかける、乾燥したら折りたたんで決められた場所に置く、食事が終ると食器を洗う、ベッドの蒲団を整頓する、天気がよかったので布団を室内で太陽の陽に当てる、雨戸の開け閉めする、夕食後一休みすると寝間着への着替えを手伝い、同時に蒸しタオルで体を拭いた。
元旦の朝食時間8時半に父の家に到着すると、父はとたんに怒り始めた。息子一人が食事の準備に来たことで怒ったのだ。牛乳とパンを準備していると「早くしろ!」と大声を出している。その後出した食事を残してベッドで寝てしまった。
昼食時になったらベッドからお腹がすいたので昼飯を何か準備してくれという。用意してあるよと話したら、テーブルについて旨そうに食べた。その後は大人しくなったが、介護する側は朝8時から夜18時まで丸一日拘束されている気分でくたびれた。
たった三日間の老老介護だったが、一人を介護するのに、一人が全く自由を奪われてしまう介護の大変さを知った。長生きすると幸せたど考えるのが一般的だが、この経験で自分が長生きすることが周囲にエライ迷惑をかけることを知った。
人生最後の難題に違いない。

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