2010/5/31 月曜日

愛犬の追悼

Filed under: 愛犬エナ — mizusawa @ 9:15:05

我が家のエナが天国に行き、友人が愛犬追悼の辞を寄せてくれた。
一緒に生活したペットに深い愛情を寄せている。
——————
ポチありがとう

8月1日の真夜中過ぎ、小さな甘えた鳴き声を聞いたような気がした。
2日前からこもったきり、もう出てくることのできなくなった
地面の巣穴から今日はじめて聞いた声だった。

すっかり痩せて、かさかさになった毛艶のポチは
一昨日、お気に入りの巣穴の上のウッドデッキの上に寝て、私の
なでる手に反応して、小さく尾を振り、唯一自由に動く首を
まわしてこちらを見た。初めてこの庭に来て、小さな
庭の主となったとき、さびしそうに鼻を鳴らした小犬のとき
と同じように真っ黒な瞳だった。

手からしか食べられなくなった今週、玉子焼き
をおいしそうに食べたと、Bは残念そうに言った。
ドッグフードにも飽きっぽく、食欲がないのか
と思えば、違う銘柄に喜んで食いついたり、おっとりしている
がわがままな深窓のお嬢様だったけど、玉子焼きが
こんなに好きならもう少し前からあげればよかった。

甘えた鳴き声を聞いて、直ぐに巣穴に降りた。
床下の、体がすっぽり入る、すり鉢のような自作の寝床は
10年以上暮らした、ポチの終の棲家だった。
まったく不思議なことに、大雨の中でも毛皮が
ほとんど濡れない防水構造を自分で作り上げた。
床下しか使わなかった犬小屋に、体が動かなくなってから
ちょっとの間だけ、寝ていたけど、やはり自分の
寝床がよかったのか、最後はこのくぼみに抱かれる
ようにして寝ていた。

うす暗闇に手を伸ばすと、毛皮が触れた。名前を
呼んで、さすってみた。背中をゆすってみた。
もう動かなかった。2時間ほど前にBがひき肉を
手からたべさせたのが末期の食事となった。

ポチは、一度も人や動物を噛まなかった。
えさの残りを盗むカラスにさえ、わんとも言わず
見ていた。威嚇のうなり声を聞いたことがない。
例外はあった。
水道の検針にはは、野犬捕獲の道具のようなもの
を常に手にしているからなのか、いつも、激しく吼えか
けていた。犬という種族のDNAに書き込まれた
習性なのだろう。

同じ年の、猫のタマも、友達扱いだった。
通いの野良猫にもえさを黙って譲っていた。

ただし、人見知りで、散歩に出かけると
出会う犬には尾をたれ、伏目で遠くを逃げるように
通り過ぎるのが常で、深窓の令嬢そのままだった。

巣穴の下に埋葬してやることにした。
小さい世界だったけど、庭の主人として安住の場
として最もふさわしいだろう。

ちょっと舌を出し、目を少し開いて、ばつの悪そ
うな顔をしたまま、口元のチーズを、後で食べるよ
といいながら土の中に埋められていった。

散歩以外で、この庭から出たのは、予防注射と
一回だけの動物病院での手術、2回の網代旅行、
清里のロッジ、伊豆高原の孔雀とサルの来るコテージ
だけだった。しかし、庭をしっかり守ってくれた
のは、一家にとって本当に助かった。

黒い目と、不器用なお手、日向ぼっこ、たくましい
肩の筋肉、追いつけなくらい速い足、てこでも動か
ない腰の強い立ち姿、おとなしくて頑丈で、控えめな和犬
らしい和犬、日本で暮らす喜びを心から感じること
ができた。13年間の付き合いだった。

ポチありがとう。
————————————————–

黒き目は 小犬の如し 老いて逝く

往く犬の 見上げる夏や 鳳仙花

—-

2010/5/20 木曜日

愛犬エナの死

Filed under: 愛犬エナ — mizusawa @ 16:54:35

我が家の愛犬エナが昨日5月19日水曜日朝7時40分ころ死んだ。年齢は14歳と2月、人間だと70歳代らしい。
先週土曜日5月15日朝いつものように6時に朝食をあげたが食べようとしないので不思議に思っていた。朝食の催促は寝ていてうるさいと思うほどしつこく吠えて要求するエナだった。
死ぬ前日の深夜妻が動物病院に連れて行った。お医者さんの宣告は「多臓器不全で数日の命」だった。数日前から平衡感覚に異常をきたしたのか、立っていることもできなくなっていた。
このブログを読み返すと2008年9月ころ腫瘍ができたころの我が家のあわてぶりが紹介されている。当時残りの寿命は半年程度かも知れないと考えていた。結果は1年半であった。腫瘍はまたできたが、その後は残ったお乳すべてに腫瘍ができることはなかった。
家族にかわいがられたエナは、目が白くなって全く見えないようだったが、我が家の中は匂いを感じて比較的不自由なく動き回っていた。耳も不自由になり、家族が帰宅したときに玄関扉が開く音で吠えながら尻尾を一生懸命左右に振りながら迎えに出てくることもなくなった。
トイレの始末でエナの寝床の近くにシートを引いていたが、時々失敗するものの、シートの上で用を足す努力をしていた。目の周りや顔の周囲には白髪が目立つようになったが、それでも体全体がふさふさした茶色の毛でおおわれている。エナの一生は幸せだった証拠だろう。
今目の前の段ボール製の棺桶でエナは寝ている。薔薇の花と、エナが好きだった熊の人形が二つ棺桶の上に置いてある。今晩火葬する。
我が家族に沢山の笑顔をもたらした愛犬エナに感謝。自然と涙があふれてくる。

2010/5/15 土曜日

板書き授業

Filed under: 若者に話したい仕事の経験 — mizusawa @ 19:56:03

4月から新学期が始まり、情報ネットワークの授業を5回行った。木曜日1限9時からの授業で400名は入る大教室で授業している。
受講する学生も講義をする先生も朝9時からの授業を避けたがる。最近は早起きを「三文の得」と知っている人が減ったようだ。私の生活パターンは朝型なので9時からの授業が合っている。
大学での講義は従来型の黒板を使いながら説明をするパターンと、最近のコンピュータ技術、パワーポイントなどスクリーンに投影したり教材をサーバに置いて授業中に教室に持ち込んだパソコンで参照することを推奨するパターンの二通りに大別できよう。
私が担当する授業ではあえて従来型のパターンで黒板をフルに使いながら授業している。同時に若干の工夫をしている。
工夫の一つは学生を大教室の前、教卓の周囲に集める方法である。前方に座った学生に出席点を与えると説明して学生が早く教室に来るようになった。また大半の学生が教室の前方に着席するようになった。
二つ目の工夫は、学生の理解度を知るため、毎回レポート課題を出すことだ。ただレポート課題の内容を工夫しないと、学生はネットから関連情報を入手してそれをレポートとして提出してくる。そこで、講義で複数のキーワードを指定して、そのキーワードを含むレポートを提出するように要求している。これで単にネット情報をコピーするだけではレポートとすることが格段に難しくなる。
学生が毎週出してくるレポートを読むと、一人一人で授業内容の理解度がかなり異なることが分かる。同じ授業を聞き、同じ板書きを見ていてもこれだけ違うのだと知る。
次の世代に知識を伝える教育の難しさを知り、教育の大切さもあらためて感じる。

2010/5/9 日曜日

憎まれることを恐れるな!鳩山総理!

Filed under: 若者に話したい仕事の経験 — mizusawa @ 7:29:17

鳩山総理は、普天間基地問題で窮地に立っている。徳之島住民の強い反対にあって、右にも左にも行けない状況に見える。
小さな組織でも利害が対立する場面はしばしばある。一方を立てれば他方が立たないのだ。まして国政レベルでは誰もが納得する解決策を見出すことはむずかしい。住民が反対していても、自民党政権が押し切った事例はいくらでもある。
成田空港の用地買収を強行したことで何十年も経過した現在でも反対派が残り空港の運用に支障をきたしている。当時成田の農民が畑の黒土を見せて、「他に移住しろと言われても、この黒土を持っていくことができない」とテレビで怒りをぶつけていたことを思い出す。
鳩山総理は徳之島の3市町に協力を求め、「すべて反対」という地元住民の意思表示に直面した。鳩山総理は「友愛」を掲げているが、「憎まれる」覚悟をするべき段階に来た。成田の時と同じように、徳之島移転案で押し切り、住民に「憎まれる」決断が迫られている。
本日5月9日早朝のテレビ番組で、鳩山総理、小沢幹事長のどちらかが辞任して民主党の体制を立て直し、参議院選に臨むことになるのか、という議論をしていた。結局のところ、どちらも辞任せずに参議院選挙で民主党が大幅に議席を減らし、その結果民主党で若手の発言が強くなるまで、この二人の辞任はないのではないか、という予想が紹介されていた。
沖縄の基地問題は重要な政治課題である。この際衆議院を解散して衆参同時選挙を実施し、沖縄の基地問題について鳩山総理が提案した今回の徳之島への移転について全国民の意見を聞いたらどうか。自民党が従来案で選挙に臨み、民主党が鳩山案で選挙に臨み、沖縄、徳之島、それに国民はどちらの案を支持するか試してみたらどうだろうか。

HTML convert time: 5.573 sec. Powered by WordPress ME