東日本大震災(5)

3月11日に液状化が発生し、水道も下水も使えなくなった。近所にお住まいの元建設会社出身の方に、仮復旧は何時ごろ?と質問した。答えは1月程度だった。同じ町内会でも、場所により被災の深刻度が異なる。家の床下に液状化の泥が流れ込んだお宅では3週間経過した現在でも業者に依頼して泥の除去をしている。その泥が道路にうずたかく積まれている。町内会から配布された袋に土を入れて道路際に置くと、業者が撤去してくれる。
先週は道路わきの側溝に流れ込んだ砂をシャベルでかきだして、砂袋に詰めた。町内会から汚水枡と雨水枡を点検するようにと連絡があった。ところでどれが汚水枡、雨水桝なのか分からない。近所の人に聞くと駐車場にあるという。車をどけて二つの枡を開けようとしたがビクともしない。15年以上閉まったままの蓋なので錆びついているという。近所の奥様方が腕に覚えのあるご主人を次々に呼んできてくれて、錆びついた蓋の周辺に潤滑剤を吹き付ける、蓋の取っ手に針金を巻きつけ棒を差し込んでテコの原理で持ち上げる、ついには町内会から借りてきた鉄棒状の大きな釘抜きにみえる道具でこじ開ける、それでも駄目でジャッキと太いチェーンで強引に持ち上げる、と大騒ぎになった。中に溜まっていた泥をシャベルとバケツで書き出し、袋に詰めて道路に置いた。数日後にはバキュームカーが各家庭を順に回り、汚水枡と雨水桝から堆積した砂などを吸い上げ、流れを確認した。そして仮復旧により待望の上水と下水が使えるようになった。
我が家には嬉しいことであったが、同じ町内会でもまだ上下水道が使えない家庭が多い。町内の道路は液状化の砂が飛散した灰色の砂でいまだに埃っぽい。見明川沿いの車道が大きく凸凹になっていた液状化個所は先日工事で仮復旧した。そのわきの歩道はいまだに沢山の砂がそのままになっている。新築家屋で被害を受けた例もある。
報道によると東日本大震災による行方不明者がまだ1万人以上という。米軍と自衛隊が大規模な捜索活動をしたという。米軍の協力に感謝したい。福島原発の今後どのようになっていくのか心配だが、日本人の知恵と能力を信じたい。復興には時間がかかるが着実に進むだろう。我が家の被災は怪我程度だったが、被災地の大変さのごく一部を身をもって経験した。

東日本大震災(4)

浦安市は液状化により多くの家庭が被災した。液状化が発生すると噴き出した砂が道路を覆い、庭が灰色の濁流で埋まり、駐車場の車が泥の中に沈んだ状態になり、家の床下に泥流が流れ込む。市役所から家の被災状況を調べに来たが、我が家も若干傾いたようだ。球を床に置くと傾いた方向に加速しながら動く。家と自宅前の道路とのつながり部分にひび割れができる。自宅が沈み込むケースが多いようだ。
生活を取り戻すには、液状化であちらこちらに現れた砂を除去しなければならない。ところによっては道路をふさいでいるので交通の妨げになる。我が町内会はメインの道路が長期間通行止めになっている。車が通れる道が限定されるので、町内会では工事用車両の出入りも考えて、自宅の車を公園に駐車するようにと指示を出した。
自宅の敷地に流れ込んだ液状化の砂は各自の責任で除去しなければならない。そのまま放置すると有害だという情報で、シャベルとスコップを使って道路に出した。隣近所の手助けを得て砂を出したが、67歳の腰には負担だった。重機が入って我家の砂も含めてトラックで運び出してくれるまで4から5日程度かかったと思うが、それまで待ち遠しかった。
自宅が被災すると都心に避難しても、町内会から毎日入る情報を手に入れて対応しなければならない。従って、ほぼ毎日自宅と避難先を往復することになる。自宅のトイレで用を足して、それを水洗で流すのではなく、粉末をかけて凝固させ、普通ゴミとしてだせる災害用品が各家庭に配られた。屋外のトイレより気持ちの面で格段に使いやすい。飲み水は小学校まで取りに行かなければならない。飲み水用のバケツは都心でも品薄で手に入らなかった。ミネラルウオータを少しずつ大切に使った。手洗いの水は、お風呂に半分ほど残っていた水を使った。避難先のアパートは水も電気も通常通りであったが、浦安市に戻ると不便極まりない。
浦安市の松崎市長が県議会議員の選挙よりも、被災者の生活を正常に戻す工事を優先するとしていることに感謝する。我々の被災は東北で津波被害を被った多くの方々に比較すれば大したことではないが、それでも被災の心労から亡くなった方がいると町内会の噂で聞いた。(つづく)

東日本大震災(3)

浦安市は多くの地域で液状化が発生した。舞浜駅北口歩道橋デッキから直接出入りできる浦安市役所出張所の建物は沈んだ。階段2段程度歩道橋に比較して沈下し閉鎖された。歩道橋を下って舞浜3丁目出入り口付近では多量の砂が吹き出ていて20センチほど堆積している。浦安市の幹線道路沿いに建つ富岡交番は傾き、窓にベニヤ板が打ちつけられた状態で放置されている。道路や歩道橋は所々で液状化が発生し、道路面が波をうっている。
3月11日に地震が発生し、翌日には都内の息子のアパートに避難した。自宅は水道が出なくなり、食事の支度もできなければ、風呂にも入れない。下水管が壊れたので、下水を流すことも禁止と町内会から伝達があり、トイレも使えない。町内の公園に災害用のトイレが設置された。幸い電気は使えたが、これでは生活できない。
息子のアパートに避難するのに、自宅の寝具と下着、衣類を車に積み込んで運んだ。幸い前日ガソリンを満タンにしておいた。けれどガソリンスタンドが全て電気が消えている。これでは自動車があっても通勤に使えない。避難先と自宅を何回か自動車で往復したが、念のため自動車を自宅に置いて、自転車でアパートと自宅の間を一往復した。普段電車を使って1時間かからない距離を自転車で2時間半以上かかった。東西線の上に位置する道路を都内まで自転車をこいだ。地下鉄からあふれたように見える多くの人が歩いていた。自転車を利用する人が多かった。一軒だけ営業していたガソリンスタンドでは車の行列が2時間待ちだった。
数日経過すると電車も地下鉄もある程度運行するようになり、都内の人々の様子は平常どおりという感じだった。一方浦安市に入るといたるところで工事が行われ、液状化の影響で砂ほこりが舞い上がっている。被災地とそれ以外の様子があまりにも違う、と家族と話した。(つづく)