東京マラソン2012(5)

35キロメートル付近に佃大橋がある。この近くの交差点で関門時間が迫っていると監視員が大声で連絡していた。残された時間は15分ほどだった。マラソンコースには関門地点が多数設置されていて、決められた制限時間以内に通過できないときは強制的に棄権させられる。関門時間に遅れたら落伍ランナーを拾う後続のバスに乗ることになるという。
関門時間が迫っているという監視員の声に走り続ける努力をしなければならなかった。周囲を走っているランナーの一団はそもそも走りの遅い一団だ。佃大橋では大半のランナーが歩いている。私も歩きたい誘惑にかられたが、少しでも走るリズムでいたい。おそるおそる走り始めた。足はすでに棒になっている。少し力を入れようとすると足の筋肉が「ガクッ」と力が抜ける。無理をすると足が言うことを聞かなくなりゴールにたどり着けない。歩いたとするとゴールまで到着できそうだが、関門時間が後ろから迫ってくる。
GPS時計の表示は時速6キロメートル前後だが何とかリズムを作って走り続けた。周囲のランナーは皆歩いているので最後の5キロメートルでかなりの人数を追い越した。1000人は抜いたかも知れない。ゴールが近くなってくるとコースが右左と何回も曲がる。42キロメートルの表示があった。最後の直線195メートルを力を出して走った。スタート地点に比較すると小さなゴールだった。ゴールラインを通過してタイム計測のピーという音が聞こえた。感激があったかというと無かったというのが本音だ。人生最後のフルマラソンを途中で棄権せずに済んだことに自分のプライドがホッとした。

東京マラソン2012(4)

10キロメートル走ると皇居と日比谷公園に到着する。道路わきに待機していた家族に汗をかいたスポーツシャツを脱いで渡してまた走り出した。日比谷の交差点を右折して品川まで往復する。日比谷に戻ってくると約20キロメートルだ。曇天だったが無風状態で我身には絶好のマラソン日和だった。道路脇では音楽、ダンスなどいろいろな催しがある。市ヶ谷自衛隊の吹奏楽を聞いたのはまだ元気がよいときだったので、気分がよかった。草臥れてくるとリズムの強い太鼓の音色が元気をくれる。
日比谷を通過して右折して銀座四丁目に到達し左折して今度は浅草まで往復する。銀座に戻ってくればほぼ35キロメートルだが、ここからじわりじわりと足に疲労が襲ってくる。GPS時計の時速表示が7キロメートル以下に下がる。周囲には歩いているランナーも見かけるようになる。足の筋肉が硬直した状態になってきているので、道路わきで足のストレッチをしているランナーも増え始めている。
道端では一定距離ごとにスポーツドリンクや水の飲み場所が設けられている。25キロメートルを過ぎてからは給水を見かけるとスポーツドリンクを飲むために立ち止まった。終盤では1か所で何杯もいただいた。ランニングの遅い人たちには給食がなくなっていると聞いていたが、バナナは豊富に給食場所にあった。バナナの皮ですべってランナーが転倒することのないように、皮をむいた状態でテーブルの上に山積みだった。道端には個人がランナーに飴などを配っているのも沢山目にした。ほぼ同じ速さのランナーにアンパンマン姿が居て、沿道から声援を沢山受けていた。もう一人同じような速度のランナーに義足の年配者がいた。25キロメートルを過ぎたころから、東京マラソンに挑戦したことへの後悔との戦いが始まった。

東京マラソン2012(3)

9時10分に出発合図の花火が打ちあがった。一瞬待機場所Kに集まっていたランナー達が歓声を挙げた。それからがまた長い静かな時間だった。Kに集まったランナー達は参加者の中でも最もゴールに入る順位が遅いと見込まれた一団だ。私は目標タイムを6時間と申込み書類に書いた。スタートは早く走れるグループから順に行われる。監視員は待機場所Kからすぐ走り出すわけではないと説明している。まずKから狭い道を歩いて、最初に道路に出なければならない。道路に出たらゆっくり歩いてスタート地点に向かう。東京マラソンは待機して、整列して、ゆっくり歩いて、スタート地点が近づいてくれば賑やかな音楽が聞こえるので、そこからやおら走り出せばよいのだ。なんとなく赤子の誕生と幼児の成長に似ている。周囲の期待と素晴らしい将来を夢見て人生のスタートラインから走り出す。
しかし、フルマラソンを走ってみると、人生の終わり方にも似ている。スタートラインで考えたようにおよそハーフまではペースを維持しながら走る。しかし、その後徐々に速度が遅くなり、最後は重い足を引きずりながら歩いてゴールする。
走り出した以上途中でやめられないのがフルマラソンだ。42キロメートルは長丁場なので自重して走らなければならない。目標は時速8キロメートルだ。半年前に購入したGPS時計が刻々と時速を表示してくれる。走行距離も表示するので道路わきのマラソン距離表示と対比しながら走った。新宿の高層ビル街では速度表示がかなり乱れた。また累積走行距離は42キロメートル走って500メートルほどGPS時計が多く計算した。腕にスマートホンを巻きつけて走っている若い女性を見かけた。イヤホンをつけたままで電話で話しながら走っている若者がいた。浅草寺の近くでスマートホンを使って周囲の地図を確認しているランナーを見かけた。雷門の前で右折するとスカイツリーが目の前に迫って見える。絶好の撮影場所だ。立ち止まって携帯で写真を撮った。

東京マラソン2012(2)

東京マラソンに出場できることになった、と多くの友人に話してしまった。風邪のせいで会議をさぼって自宅で寝ていたら、会議の仲間から「東京マラソンはどうなるの?」というメールが来た。別の友人からは「明日の東京マラソン頑張って」と激励のメールが来た。家族や親戚は「無理するな」と注意してくれる。
京葉線に乗り、東京駅で中央線に乗り換えた。電車は座れた。四ツ谷駅から乗り込んできた同世代の男性が右側に座った。足元を見ると運動靴にゼッケン番号を印刷した無線タグをつけていた。東京マラソンに出場する人には透明な大きなバッグが渡され、すべての荷物はそこに入れてトラックに出発前に預けることになっている。電車にはこのバッグを持っている人が増えて、新宿駅では大集団の人の流れになった。
新宿駅から都庁に向かって地下街はゆっくり歩く沢山の人であふれていた。都庁の真下あたりにはゲートがあり、その先はランナーしか入れない。駅から都庁の会場まであらゆる場所のトイレが人の列で埋まっていた。途中の工学院大学では「トイレが利用できます」と案内していたのに感心した。トラックに手荷物を預ける時間制限が8時30分とアナウンスされていた。マラソンのスタートは9時10分で私のスタートは最後尾からで9時30分頃になる。寒さ対策の防寒具をランニング姿の上に着ていたが、荷物を預けるには防寒具を脱がなければならない。周囲では沢山のランナーが荷物を預けてスタート場所へと移動している。意を決して荷物をトラックに預けて人の流れに乗って、最後尾から出発するKの場所へと移動を始めた。集合場所Kは広場、もしかすると公園だった。
3万6千人が参加するマラソンで待機場所がAからKまである。単純に計算すると1か所に3000人がスタートの合図を待っていたことになる。場所Kに到着した時まだ30%も埋まっていなかった。直に人で一杯になったが、誰もが静かにただひたすら出発時間を待っていた。沢山の人が集まり、話し声もほとんど無く、時折監視人の説明が聞き取れない程度に聞こえるだけ。マラソン祭りの場所としては不思議な空間だった。

東京マラソン2012(1)

東京マラソンが始まって依頼ほぼ毎年フルマラソンに応募してきたが毎年願いかなわず、それが定年を3月末に迎えるこの時期に出場できることになった。昨年出場できるという通知をもらってから、頭の中はフルマラソンを走る準備のことばかりを考えていた。週末にはなるべく長距離を走る練習をしてほぼ毎週土曜日曜を合計して30キロメートル程度は走った。11月には荒川土手のハーフマラソンにも参加して2時間10分台の記録だった。ハーフマラソンを走ることができてもフルマラソンが走れるかどうかは未知の領域だった。
50歳代の時に一度河口湖フルマラソンに参加したことがある。タイムは5時間45分だった。後半は足が硬直して思うように動かなかった。今回の東京マラソンは我人生2度目のフルマラソン挑戦だ。週末のトレーニングでも21キロメートルまでは走れても30キロメートルを超えるころから走る気力が失せてしまう。結局30キロメートルを超えるトレーニングは3月で数回程度しかできなかった。
東京マラソンが近づくにつれてインフルエンザが蔓延し始めたので、電車などなるべく人ごみは避けた。それでも先週から少し体調がおかしくなり、木曜日は鼻水がひどく、金曜日の朝には関節がだるく明らかな風邪の症状だった。会議に出席できないと仕事の断りのメールを送り、PL顆粒を飲んでただひたすらベッドに横になっていた。不思議なことにほぼ昼夜の区別なく寝れた。体温は37度以下だったのでインフルエンザではなかったようだ。金曜日は丸一日寝て、土曜日の朝は少し体調が回復したので国際展示場までゼッケンをもらいに出かけ、帰宅してからはまた寝ることに努力した。そして2月26日日曜日東京マラソン2012の当日となった。