2012/7/20 金曜日

マレーシア旅行(5)

Filed under: 若者に話したい仕事の経験, 熟年旅行 — mizusawa @ 11:28:31

帰国便は真夜中にKLIAを出発するJALだった。座席は行きと同じ番号。同じ機体だと座席前のテレビコントローラが正常に動作しないのではないかと心配したが、今回はまともに使えた。トラブルが発生したのはイヤホンの右側が聞こえないことだったが、差し支えないので左側だけで映画を2本鑑賞した。
西田敏行が主演する「火天の城」は織田信長が無理難題を大工の頭に命じ、エンジニアとしての高い能力で克服していく物語だった。通信技術者として経験してきた仕事から興味が湧いて全て鑑賞した。最後は同じ目的に向かって働く沢山の仲間に支えられている、という締めくくりだった。
二本目の映画は「The Best Exotic Marigold Hotel」を選んだ。選んだ理由は、英国人が老後生活をインドでスタートする内容で、インド旅行を経験して若干の興味が湧いたからだ。内容はコメディとして紹介されていたが、自分の年代の物語、つまり退職したり、連れ合いに先立たれた人が考えざるを得ない人生最後の生き方をテーマにしていて、「そうだろうな、同じだな」と印象に残った。
大きな組織で活躍していても、定年はスッパリと仕事から切り離される。判事を務めた主役の一人は若者の時にインドに残した禍根を整理するためにインドに行く。家政婦は何十年と家事手伝いをしてきても年齢を重ねると若者に仕事をとって代われ、ある日仕事がなくなる。幸せだったはずの主婦は夫に先立たれたら残っていたのは借金だけで、老後の生活の見通しも立たなくなる。まだ元気な人は伴侶に先立たれると寂しさから新しい伴侶を探したくなる。
物語のホテルはインドの若者が経営するボロホテルで若者の元気さが笑いをさそう。インドで生活を始めた年配者達は徐々に新しい生活を見つけてインドでの老後を楽しむようになる。
映画のなかでホテルの経営者役のインド人若者が「年寄りの世話は皆嫌がる。このホテルで年寄りを受け入れれば必ず儲かる」と言っていた。長寿社会の事実を映画はテーマにしていた。
短いマレーシア旅行は終わった。
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クアラルンプール近郊の住宅街

2012/7/19 木曜日

マレーシア旅行(4)

Filed under: 熟年旅行 — mizusawa @ 17:14:38

クアラルンプールのセントラル・ステーション近くの公園「レイクガーデン」にタクシーで出かけた。公園の中に観光スポットが多数あり、最初に訪問したのがバードパークだった。人間が大きな鳥籠の中に入って近くで観察することができる。公園には「鳥に餌をやらないでください」と表示があり、同時に日本のガチャポンに似た餌販売機が設置されていた。餌販売機周辺には白鷺が多数集まって、餌を買い求める観光客の到来を待っている。
別の鳥籠では液体状の餌をプディング容器のような入れ物でインコに与えていた。インコはこの容器を手に持つ人の腕に乗ってくる。別の場所ではオウム、インコ、それにフクロウなどの鳥を両手に止まらせて写真を撮影していた。写真の孔雀はカメラから数メートルの距離に座り込んでいた。
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バードパークの孔雀
公園内にはKIDS広場があり、幼稚園生が先生の誘導で列をなして歩いていた。公園出口にはレストランがあり、鶏肉カレーを食べた。
道路を挟んだ向かい側にオーキッドガーデン(ラン公園)がある。徒歩で小さな入口経由で丘に登った。こちらは入り口で料金を支払うこともなく、人も少ない。ランの公園であることは分かったが、日頃ランに期待している日本人にはがっかりする観光スポットだった。
次にタクシーに乗ってバタフライパーク(蝶の公園)に向かった。訪問タイミングが悪かったのかも知れない。湿度100%のカゴの中に入ったが、地味な蝶が大半で、規模が鳥公園に比較すると格段に狭く、これも残念な観光施設だった。
さてホテルに帰ろうとするとタクシーを頼まなければならない。蝶公園のタクシー乗り場から近づいて来た男性は何処に行く?と聞く。ホテルの名前を告げると26リンギットと返事があった。来たときは14リンギットだったと断ると、20リンギットではどうだと押し付けてくる。結局断って鳥公園に向かって歩き出した。鳥公園のタクシー乗り場にはタクシー受付台が備えてあり安心してタクシーに乗れたからだ。蝶公園には同じシステムがなかった。
徒歩で蝶公園に向かったつもりだったが途中で道を間違ってしまった。バスが何台も広場に駐車している場所に出た。後で地図を開いてみると国立モスクの駐車場だった。幾つものテーブルを囲んで何人も座っていたので、通りかかった若い男性二人組に尋ねた。「道に迷ってしまったので、ここは何処か教えて欲しい。」
地図で国立モスクということは分かったがタクシーの乗り場が分からない。男性の一人が大声をだしてテーブルを囲んでいた人たちに「タクシー運転手は居るか?」と聞いていたようだが反応はなかった。「プリンスホテルまでタクシーで帰りたいのだ」と言うと地図でプリンスホテルを探していたが、「近くのタクシー乗り場まで私の車に乗りなさい」と親切な提案をしてくれた。
国立モスクの正面入口付近で下車した。親切な若者に出会えてマレーシアに親近感を持つことができた。国立モスクは丁度観光客向けに見学をオープンにしている時間帯だった。近代的な印象のビルだった。外部から全体を眺めるだけで周辺のタクシーを探した。丁度ブルーのタクシーの運転集が食事をしながら近づいてきた。「ホテルまで幾らですか?」と聞くと「メータで走る」と返事があった。メータでタクシー料金を支払うときはボラれることは無い、というのが観光ガイドの説明だったので、そのブルー色のタクシーに乗った。街路は渋滞が多かった。

2012/7/17 火曜日

マレーシア旅行(3)

Filed under: 熟年旅行 — mizusawa @ 18:36:57

マレーシア到着三日目の夜中に下痢になってしまった。昨日の行動を思い出して原因を探したが、マラッカの小さなお店で買ったアイスクリームKITKATが最も疑わしいと思った。それ以外にも昼食の時に出されたお茶、夕食の時にビールのあとに飲んだコップに入った水などが頭に浮かんだ。ハーゲンダッツをツインタワー1階のお店で食べたときは安心していてその後問題はなかった。それとも、毎晩中華料理系の辛い食材をいつもよりタラフクたべて胃が草臥れていたのだろうか。注意してミネラルウオーターを飲んでいたのだが、どこかで失敗した。
朝食をパン、クッキー、蜂蜜、コーヒー、大豆の煮物とかなり節食し、ビオフェルミン2錠、クラビット1錠を飲むことで、外出を控えて徐々に回復してきた。
クアラルンプール空港から高速道路を使ってホテルに来るまでの印象を書こう。高速道路は便利につながっていて70kmほどある空港から50分ほどで到着した。ただし、平日の夕方はクアラルンプール市内に入ってから大渋滞に巻き込まれると言う。夕方の退社時に多量の車が郊外の自宅に向かって一斉に動き出す。主要な交差点には警察官が立って交通整理をしている。ホテルの近くのT字型交差点に差し掛かった時、こちらが直進する青信号が点灯してもすぐに赤信号に変わり全く車が動かない。ドライバーは警察官が市内から郊外に向かう車を優先しているからだという。青信号を4回ほど見過ごしてやっと交差点を通過することができた。
高速道路は空港からクアラルンプールまで4ないし5個所料金ゲートがあった。タクシーの運転手はそのたびにカードを出してゲートの丸い金属部にタッチしたり、係員に料金を支払ったりしている。ゲートを選択すると日本のETCのように通過するだけという方法もありそうだ。
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クアラルンプール高速道路の料金ゲート
高速道路両側には一定間隔で高い広告塔が並んでいる。日本車の宣伝も見かけた。奇異に感じたのが、高速道路の両側に見かける携帯電話のアンテナタワーと水タンク(のようなもの)だ。アンテナタワーにアンテナが沢山ついているのは理解できるが、遠目にアンテナタワーにアンテナと同じように木が植わっているように見えた。水タンクはがっしりした立方体の骨格を積み上げた構造の土台に載っていた。かなり大きな水タンクとおもわれる。
高速道路を走る車の制限速度について、どのようなルールで走行しているのか未だ理解できていない。速度は80km/h、90km/h、110km/hの標識を目にした。実際の走行速度は車によってかなり異なり、制限速度を大幅に上回っている車も見かけた。タクシーの運転手に速度違反でつかまったことはあるかと聞くとあるという。罰金はと聞くと、警察に捕まったときは車を降りずに警察官と交渉するのだという。どのように交渉するのかは、ここに書くことを控えよう。

2012/7/16 月曜日

マレーシア旅行(2)

Filed under: 熟年旅行 — mizusawa @ 22:40:31

クアラルンプールから南に150km、マラッカに出かけた。ホテルで旅行会社のガイドツアーを頼んだ。9時半にトヨタ車が到着し、高速道路を使って12時前後にマラッカに到着した。
観光の中心部はオランダ広場で沢山の旅行客で賑やかだった。自転車を改造した人力タクシーが沢山客待ちをしていて、花の飾りで派手にデコレーションしている。
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オランダ広場の人力観光タクシー
ガイドはオランダ広場に時計塔があり、昔はオランダの鐘だったが日本製の時計SEIKOに取り替えられたと話していた。博物館はマラッカの歴史を順に紹介しており、中国、ポルトガル、オランダ、英国それに日本と順に占領され支配された事実に、その昔列強が好き勝手に自分の都合で乗り込んできた歴史を再度確認した。
日本軍が占領していた頃、私が誕生した1943年頃の写真はどれか分からなかった。直に日本軍はマラッカから追い出されたのだろう。オランダ広場の裏手にある小高い丘に石の壁だけが残ったセントポール教会が立ち、坂を下るとサンチャゴ砦のこれも石の壁と大砲が陳列されていた。
砦はその昔は海に面していたはずだが、ガイドの話では日本人の技術で海を埋め立てたそうで、現在はショッピングモールやホテルが立ち並び、海は遠くになってしまった。
チャイナタウンも散歩したが狭い道で車が常に後ろから来るので落ち着いて歩くことができなかった。昔の市街は一方通行だらけで混雑している。ガイドは海岸に連れて行ってくれたが、海の埋め立てが進められており海岸線が沖まで茶色に濁っていた。海岸線には新しいアパートやホテルが建設中で、ひときわ目立つ綺麗なモスクが海にせり出して立てられていた。マラッカは雑然としているが経済発展に邁進しているようだ。

2012/7/15 日曜日

マレーシア旅行(1)

Filed under: 熟年旅行 — mizusawa @ 18:43:43

成田からクアラルンプールにJALで出かけた。7時間の飛行で、総じて快適であったが、エコノミー席のTV操作ボタンがかなり使い込まれているのだろう、押しても反応してくれなくてJALの営業成績が急回復した理由の一端を経験した。
飛行機はクアラルンプールの上空を通過し、その後旋回して近代的な空港に到着した。気温は33度と紹介されていたと思うが、建物内部は東京の節電に協力して日常を過ごしている我が身には寒く感じられた。
ホテルは観光ガイドにクアラルンプール中心街として紹介されているBUKIT BINTANG(ブキッビンタン)とGOLDEN TRIANGLE地域の境に位置するPRINCEだ。周囲には欧米でも目にする有名なホテルが高層ビルを構えており、下町の安ホテルがどこにあるか探そうにも見つかりそうもない。ホテルで夕食のレストランがあるところを尋ねたら、近くのパビリオンを紹介された。人通りが多く賑やかな巨大ショッピングモールだ。
一晩寝て、翌日は2つの高層建築を見て歩くことにした。どちらも地図には公園とある。最初に訪れたのはペトロナス・ツインタワー(KLCC公園)だ。統一カラーの若者集団が10グループ以上集まって、公園内のアチラコチラに陣取り応援をしている様子。「ユースフォー何とか」と広告が並んでいたので、マレーシアのサッカー試合の応援をしているのではないかと思った。バトンを二組見かけ、バンドも音楽を演奏していた。
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KLCC公園
次に訪れたのはKLタワー(ムナラKL)だ。KLタワーは小高い丘の上に立っている。麓に徒歩で到着したらシャトルバスの乗車場があった。行きは徒歩で登ったがそれなりにキツイ坂道だった。帰りは下りだがタイミングが良かったのでシャトルバスを利用した。KLタワーは展望だけのチケットを購入してエレベータで登った。展望台から見える景色は高層ビルが所狭しと並んでいる比較的小さな都市の風景だ。少し離れると緑地が広がり、更にその向こうに高層ビルの1群が見える。
街を歩いた感想は、何となく安心感がある。マレーシアの人々の感覚は日本人にとって穏やかに感じられるのだろう。

2012/7/2 月曜日

映画「エンディングノート」を見て

Filed under: 熟年の健康 — mizusawa @ 15:22:52

浦安市からの案内らしいが男女共同参画週間映画会「エンディングノート」を夫婦で鑑賞することになった。69歳にもなると人生の終わり方は常日頃気になる。以前「エンディングノート」が新聞で紹介されていたのを覚えていた。漠然と「身辺を整理するノート」の作り方でも教えてくれるのだろうと思っていた。
映画は葬式の場面で始まり、主人公が退職後にガンを宣告されてからの出来事が紹介されてる。教会での告別式を希望する主人公は神父さんに相談する。自分と同世代の話なのですべての出来事が我が身にふりかかる。主人公は外交的で家族とのお話が好きなタイプで、いろいろな場面で周囲を笑わせる。エンディングノートその1は「周囲に気をつかうこと」と教えられた。楽しくエンディングするためだ。
カメラを回している主人公の娘さんはお父さんが大好きなのだろう。お父さんも映画監督の娘さんが大好きなようだ。スクリーンに投影される主人公の表情が常に優しい。ガンで70歳前に他界された主人公は残念だったろうが、傍から見ると温かい家族に囲まれてエンディングが迎えられ羨ましいと思った。長生きして一人暮らしになったら、映画のような幸せなエンディングはなかろう。エンディングノートその2は「家族に囲まれた幸せなエンディングをプランすること」かな。
告別式の場所として教会を選んだこと、娘さんの洗礼を受けてパウロという名を授かったことが紹介されていたが、遺書には全く触れず遺産も少し話題が出た程度であった。告別式の連絡先がエンディングノートとして大切だったのは、退職後まもなくで現役世代の会社人生を大切にしたからだろう。勤めた会社も10年経過すれば知っている人は居なくなってしまう。
映画を見終わってから家内は自分の納まるお墓と年金生活が気がかりだったようだ。今後のことを先回りしてあれこれ心配したくなる気持ちはわかる。しかしすでに69歳の我が身だ。自分のエンディングまでのことは子供たちを信頼して任せる。エンディングノートその3は「何故かまだ生かしていただいている毎日を精一杯生きること」と感じた。69歳まで生きていると、死んでいたかも知れない危機がたまたま何度か目の前を通りすぎていった。生活していることそのものが奇跡で、感謝して当然だろう。
エンディングノートを鑑賞して、幸せな人生のエンディング方法を一つ知った。

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