お葬式(6)

千葉市の火葬場は高級ホテルに霊柩車で横付けしたという印象だった。故人は霊柩車から専用の台車で運び出され、係員が一人で台車を運転していた。台車に続いて親族が火葬場に入った。火葬場の窯の入口は大きなガラスで区切られていて、部屋には3名のみ入室が許され、残りの親族はガラス越しに故人を見送った。天井は高く重厚な感じで照明もスポットライトが多用されており、天国への入り口として故人を見送る場所として、10年前の母に比較してずいぶん良くなっていた。
約1時間待つ時間があり、火葬場に準備されたお部屋で別れの食事をした。故人の写真を置いた席にもお膳を置いた。故人にとって玄孫が2名参加していたので、会食は重苦しい雰囲気ではなかった。
館内放送があり、親族全員で採骨室に行った。若い係りの人からお骨の配置について説明があった。市の職員という雰囲気で丁寧に説明があり、気持ちのよい対応だった。親族が順に採骨して骨壺に入れ、全ての骨を入れる段になって、係官から骨の量が多いので砕いて良いかと問い合わせがあった。父は96歳まで長寿だったのは骨が頑丈だったからだ、と思った。そのあと骨壺を抱えて火葬場を後にした。
献花で葬儀をし、とりあえず骨壺は自宅に仮に組み立てた祭壇の上に置いている。仏式ではないが何となく49日が過ぎるまではと納骨の段取りは未だ決めていない。49日が元旦にあたるので2013年に入ってから取り掛かる仕事だと思っている。
お葬式は我父母の家族は核家族だったので、自宅にお坊さんが来た記憶がない。長男の私は今回のお葬式が自分で段取りを決める最初で最後の葬式だ。大家族ならそれなりに伝統に従う家族のルールがあろう。我が家は私の判断で家族葬として最低限の葬儀とした。自分では息子や娘に、私の葬儀をこのように実施して欲しいと間接的に説明しているのに等しいと感じた。(おわり)

お葬式(5)

告別式は11月17日土曜日13時からとした。大阪からも親戚が駆けつけてくれた。当日の天気予報は午後から大雨だった。葬儀の部屋は父の好きな庭側の戸を開け放した。家族葬としたので葬儀屋さんの司会で最初に近親者だけの告別式を行った。幼児を入れて21名の告別式で、最初に黙祷し、一人一人献花し、棺桶の窓越しに個人の顔を拝んだ。故人から見るとひ孫にあたる4歳と2歳の幼児が駆け回ったり泣いたりしていたが、賑やかで告別式に安らぎをくれていると感じた。
近親者だけの告別式を終えたのち、1時間ほど近所の人が挨拶にお見えになるのを待った。お隣さんの御嬢さん、道路を挟んで斜め向かいのお婆さんがお見えになった。介護施設でお世話になった方が父の顔を見ながらウイットのある会話をするお爺さんだったと話してくれた。入るのを嫌がっていた父だったが、介護施設での生活にも慣れてきていたのかなと思った。父は自宅の庭が大好きで、日がな一日庭を眺めて老後を送っていた。庭師にお願いして作ってもらった京風の庭である。庭はお茶式になっているということで、お茶会を開いたこともあるという年配の女性も挨拶に来てくれた。20年ほど前の庭を背景にした父が写っている写真のコピーを見せてくれて、懐かしそうに話してくれた。
出棺予定の14時が近づいてきたので、葬儀屋さんの挨拶で棺桶の蓋を開け、献花と祭壇に供えたお花を棺桶に全員で入れ、故人が愛用した帽子背広ズボン、それに個人にとってひ孫にあたる幼児が書いた手紙を入れた。小雨が降り始めていたが、出棺の時にはそれほど強く降っていなかったので、父が希望していた庭側のベランダから棺桶を運び出した。男手5名で肩の高さまで持ち上げ、狭い木の間と庭出入りの門扉を通過し霊柩車に運び入れた。父の長年の希望はかなえられた。
14時に出棺し、近所の人数名が見守る中で霊柩車は動き出した。喪主の私は紙に父の名前を書いた位牌を手に持ち、霊柩車の助手席に座って火葬場まで1時間以上かけて行った。霊柩車の後には家族が運転する車2台が続いた。霊柩車はゆっくり家族の車が後ろに続いているのを確認しながら走った。千葉の火葬場は木立が繁る小山が連なる田舎にあった。建物も巨大な近代建築で地下に駐車場がある。霊柩車が到着した場所には火葬場の受付があるそうで、運転手さんが受付を済ませるまで待ってくださいと車を降りた。(つづく)