オバマ氏の広島訪問

2016年5月27日は記憶に値する一日になった。オバマ大統領の平和公園での演説がTV中継される画面を注視していた。同時に流れた同時翻訳の音声が煩わしかったが、演説の内容はノーベル平和賞受賞者にふさわしかった。人類は広島に原爆を投下した日に、人類を破滅に導く手段を手に入れたことを知った。人類は地球上で繁栄を謳歌しているが、同時に破滅への道筋を明確に示してしまった。科学技術の進歩を戦争による破壊のためでなく、戦争を回避する手段として使うべきである。オバマ氏の演説で科学技術がもたらす人類への影響について触れたあたりで、核兵器を廃絶することの難しさの本質に考えてしまう。人類が民族を意識したとき他人を敵と見なす感情を持つ以上、戦争を避ける手段は無かろう。敵に勝利する手段として科学技術を利用しようとするのは、人にとって当然の考え方だ。科学技術に頼るのではなく、人として自分は戦争を絶対にしない、と公言することは勇気のいることである。そこで日本が置かれた立場を逆説的に考えてみたくなる。地球の上に一つの民族(日本)だけが「戦争を放棄する」という憲法を大切にしていても良いのではなかろうか、と思いはじめる。72歳のこの身は第二次世界大戦中に東京で生まれ、千葉に疎開して東京大空襲の戦火をかろうじて生き延びた。学生時代には第一次世界大戦、第二次世界大戦と世界史で学び、この間隔で第三次世界大戦が発生すれば50歳まで生き延びることはなかろうと予想していた。72歳になった現在、なぜ自分はベトナムの戦場に行かないですんだかといえば、日本が第二次世界大戦に負けて、平和憲法を米国に押しつけられたからである。戦争に勝った米国は多数の兵隊を失った。現在の平和憲法は日本人が希望してつくりあげた憲法ではないから、憲法改正が必要である、と安倍総理や自民党の主張である。しかし、人は自らの意思で「戦争を放棄する」などと世論をまとめることはできない。ファシストやナショナリストは世論をあおって国民を戦争に向かわせてきた。事実を冷静に見てみたい。日本が「戦争を放棄する」憲法をもっていることで、私の72年間は平和が保たれた。現在の日本国憲法は「70年間平和の実績」を積み上げた憲法である。その価値を見直し拙速に憲法改正を急ぐ必要は無い、と断言したい。同時に心のなかではこのようなことも考える。中国やロシアは軍事力を強化して隙があれば日本に攻め込んでくるかも知れない。その恐怖に事前に備えるために憲法を改正して軍事力を強化する必要があるかも知れない。この考え方を勇気をもって押さえ込むには、地球上に数多ある民族になかに、唯一「戦争を放棄した」バカな憲法を大切にしている国があると、いさぎ良い民族の生き方を選んだらどうだろう。第二次世界大戦で桜の花が散るのになぞらえ、若い特攻隊員は潔い死に方を選んだ。潔い(いさぎよい)気質を尊び、あっぱれな決断「平和憲法」を大切にする日本民族に栄光があらんことを願う。

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